永遠の音楽少年、ブライアン逝く

ブライアン・ウィルソン

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敬愛するブライアン・ウィルソンが2025年6月11日に亡くなったと家族から発表された。 享年82歳。

昨年初め頃に妻のメリンダさんが亡くなり、ブライアン自身認知症を患っているとの報道があった。

ブライアン・ウィルソン

米国の伝説的ロックバンド「ビーチ・ボーイズ」のリーダー、作詞・作曲・シンガー・演奏・プロデューサーとマルチな才能を発揮してきたブライアンであるが、彼の人生は苦難に満ちたものだった。
彼の物語りはこちら

ビーチボーイズ絶頂の60年代から常にプレッシャーを感じながら、それでも真に音楽を愛したブライアン。 歳をとってもずっと心は純真な少年だったに違いない。

彼の偉業は語りつくせない。本当にお疲れさまでした。 ブライアン、ゆっくり休んでください。

マリー・ウィルソン

マリー・ウィルソン

さて、ブライアンが最も影響を受けた人物は誰だろう?
間違いなく父親のマリー・ウィルソンである。
今日はブライアンと、ビーチ・ボーイズ初代マネージャーであった父親のマリーについて少し考えよう。

昭和の頑固おやじそのもののマリーと、シャイで奥手のブライアン。 2人は互いに相手のことが大好きだったが、2人とも愛情表現がまったくの苦手であった。

マリーは常に息子に超厳しく決して褒めなかった。息子の音楽的才能に対する嫉妬心もあったのだろう。 ブライアンは父に認められるために必死だったが、自作曲の酷評を繰り返すマリーに嫌気を持つようになる。 ビーチ・ボーイズのデビュー後まもない62年、父親から距離を置くために家を出る事を決心するブライアン。
引っ越しの日、号泣しながら手を振るマリーの姿があったという。まったくこまったオヤジである。

そして、64年4月のレコーディング中、マリーの執拗な楽曲批判に激怒したブライアンは、ついにマネージャーの解雇を言い渡す。 マリーはその報復として、ビーチ・ボーイズのコピーバンド『サンレイズ』をプロデュースし、ビーチ・ボーイズに対抗する事に。。

そんな中、ブライアンは66年に傑作アルバム『ペット・サウンズ』を発表し、渾身の次回作『スマイル』の制作を開始するのだが、1年後にプロジェクトは中止になってしまう。 中止の理由は様々言われているが、決定打はメンバーのマイク・ラヴが『スマイル』の楽曲を理解してくれなかった事である。 ブライアンは悩んだ末、自らの創作活動よりグループを優先したのだった。

すっかりやる気を失ったブライアンに喝を入れるため、マリーは自身初のソロアルバムを製作/発表する。 マリーはブライアンと名曲「ブレイク・アウェイ」を共作。 60年代終わり頃に2人の確執は“雪解け”ムードに。

さらに、ブライアンはサンレイズのリーダーであるリック・ヘンと一緒に「ソウルフル・オールド・マン・サンシャイン」を制作している。 71年にはマリーがビーチ・ボーイズのために作曲した「ウォント・ユー・テル・ミー」を提供。

(ブライアンが歌うWan't You Tell Me♪

マリーが73年に他界するまで、ブライアンは父親と比較的良好な関係を保っていたらしい。 但し、マリーは目先のお金に目がくらみ、ブライアンのすべての楽曲の版権を売却してしまう愚行もきっちりやっている。

今頃ブライアンは天国でマリーと楽しく過ごしているでしょう。



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