20/20
20/20


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69年2月に発表されたビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバム。
「恋のリバイバル」、「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」などのヒット曲を収録。



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プロデュース:ブライアン・ウィルソン, デニス・ウィルソン, カール・ウィルソン, アル・ジャーディン, ブルース・ジョンストン

Capitol Revel 1969.2.3


ヒストリー

1969年8月9日、ロサンゼルスで女優のシャロン・テート、ラビアンカ夫妻が惨殺された20世紀最悪の事件が起こる。 事件の首謀者チャールズ・マンソンは、カルト集団“マンソン・ファミリー”を率いるリーダーであった。

68年の終わり頃にデニス・ウィルソンはマンソンと知り合い、お互いにパワフルな魂を持つ2人は意気投合する。 気前がいいデニスは、マンソンとファミリーたちに自宅と食料を開放していた。 自称アーティストのマンソンは、自身が作った曲のレコーディングのためにデニスの親友テリー・メルチャーに約束を取りつけたものの、実現できなかったことに腹を立て、デニスらを脅迫するようになる。 事件後、真の標的はテリー・メルチャーとも言われ、マンソン・ファミリーの報復を恐れたデニスは以後マンソンについて法廷においても一切公言していない。 カリフォルニア州の一時的な死刑制度の廃止により、終身刑になったマンソンは2017年11月に獄中で死去する。

一方、ブライアン・ウィルソンは1人自宅のスタジオで多くの曲をレコーディングしていたが何をやっても気に入らず、録音と消去を繰り返していた。 彼のホーム・スタジオを最先端システムに改造させた天才エンジニアのスティーブ・デスパーは、このブライアンの行為を「発表する曲の数より抹殺する曲の数の方が遥かに多い」と言って困り果てていたという。

その頃、ブライアンに対するプロデューサーとしての印税未払いについてのキャピトル・レコードへの訴訟がビーチ・ボーイズ側の勝訴で結審し、原告への50万ドル支払い命令が下される事になった。 キャピトルとの関係は悪化、8年近く続いたビジネス契約は終焉を迎える。

また、ブライアンの父マリー・ウィルソンは、自身初のソロ・アルバム『ザ・メニー・ムーズ・オブ・マリー・ウィルソン』をリリースするが、これは自信を失った息子への叱咤の意味もあったようだ。 やはり親子の絆は強いのであろうか? その後2人は共同で曲作りを行い「ブレイク・アウェイ」を制作。 この曲はブライアンにとって久しぶりの自信作となり、かつての輝きを取り戻しつつあった。


アルバム解説

1969年2月3日に発表された通算16枚目となるオリジナル・アルバム。当時、キャピトル・レーベルからリリースされる最後のスタジオ・アルバムとなった。 この頃、グループはブライアンに頼る事が難しい状況を理解し、メンバー各々が自分達の作品をレコーディングすることにした。

カール・ウィルソンとアル・ジャーディンは彼らのスタイルを生かしたカバー曲を素晴らしいアレンジで仕上げ、ブルース・ジョンストンも彼らしい繊細な楽曲を提供する。 また、デニスはブライアンに匹敵する豊かな才能の開花を告げるに十分な優れたオリジナル・ナンバーをプロデュースする。 『20/20』はそれぞれの作品を持ち寄る事で全体の統一感は無くなったものの、バラエティ豊かで魅力的なものとなった。 しかし、アルバム・チャートは最高68位と振るわず、アメリカにおけるビーチ・ボーイズ人気はどん底状態であった事を示す結果となった。 イギリスでは反応が逆で全英3位を記録したのだが…。

アルバムジャケットはブライアンを除くメンバー5人が記念写真風に写っている(ブルース・ジョンストンが写真に写るのは初めて)。

尚、『20/20』というタイトルはビーチ・ボーイズの20作目のアルバム(3枚のベスト版とカラオケ集の『スタック・オー・トラックス』を含む)という意味と、アメリカの視力検査に用いられる1.0に相当する単位とをかけたもの。 ジャケット内側の見開きページには曲目リストに視力検査用の記号があしらわれ、意味深な表情のブライアンが写っている。

小生の好き度

★ ★ ★ ★ ★

マイク・ラヴがリード・ボーカルをとる、ロックンロール・スタイルのブライアンとマイクの共作曲。 久しぶりに海や太陽、女の子が歌詞に登場するが、“もう一度楽しもう”という懐かしさと新たな希望のような想いが満ちている。 プロデュースはブライアンとカールによるもの。

思いっきりディレイのかかったドラムがチープなサウンドに聴こえるが、ブライアンの凝った音作りが随所に感じられる作品だ。 アルバム『フレンズ』のセッション中の68年5月にレコーディングされ、同年7月15日に「世界よ目を覚ませ」とのカップリングでシングルとして発表、全米20位を記録。イギリスでは堂々の1位を獲得! エンディングで僅かに聴こえるハンマーを叩く音は、"スマイル・セッション"時に録音された「アイ・ウォナ・ビー・アラウンド/ワークショップ」という曲用に録音された効果音の一部である。シングル・バージョンではこの効果音はカットされている。

98年のサントラ盤『エンドレス・ハーモニー』には、ブライアンの奇妙なコーラスの入ったサイケデリックな初期バージョンを収録。 又、95年のブライアンのソロアルバム『駄目な僕』には、娘のカーニーとウェンディも参加した楽しそうなセルフ・カバーを聴く事が出来る。 初のステレオ・ミックスは2013年のボックス・セット『カリフォルニアの夢』に登場する。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Mike


ジェフ・バリー、エリー・グリーンウィッチ、フィル・スペクターの作品で、黒人女性コーラス・グループのロネッツ、66年のヒット曲のカバー。 伸びのある素晴らしいリード・ボーカルはカールで、プロデュースも彼によって行われた。 ビーチ・ボーイズらしいコーラスを前面に出した快作で、オリジナルよりアップ・テンポで軽快な仕上がりになっている。 69年2月24日にシングル・カットされ24位まで上昇。B面はデニス作「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ」。

2018年に配信された20/20のセッション集『アイ・キャン・ヒア・ミュージック‐20/20セッションズ』には初期バージョンとコーラス付きバッキング・トラックを収録。

作者:J.Barry - E.Greenwich - P.Spector

リード:Carl


「恋のリバイバル」に続く27枚目のシングル曲として68年12月2日にリリース、最高位61位を記録。 オリジナルはロカビリー歌手アーセル・ヒッキーの58年のヒット曲。リード・ボーカルは冒頭のツイン・コーラスがブルースとカール、その他はマイク。 ドライブ感たっぷりのドラムとベースに、エド・カーターのエレキ・ギターがタイトな演奏を聴かせる。 上昇する特徴的なストリングス・アレンジは、ソング・ライターのヴァン・マッコイ。

プロデュースはブルースとカール。

作者:E.Hickey

リード:Bruce, Carl, Mike


デニスの作ったサイケ調のラヴ・ソングで、プロデュースも彼自身によるもの。

彼の繊細なリード・ボーカルにマッチした、重く深い音像を際立たせるホーン・セクションの使い方は見事で、スケールの大きさを感じさせる。 高音を奏でるストリングス・アレンジは前曲同様ヴァン・マッコイで、ここでも独特の上昇音が使われている。 長く引き伸ばされたエンディングは奇妙なコーラスが不気味な余韻を残している。

2001年の『ホーソーン,カリフォルニア』には重厚なバッキング・トラックを収録、2013年の『カリフォルニアの夢』ではデニスによるピアノ・デモを聴く事が出来る。

作者:D.Wilson

リード:Dennis


ビーチ・ボーイズには珍しいストレートなロックンロール曲で、デニスとスティーブ・カリニッチの共作。 シャウトするリード・ボーカルはマイク・ラヴ。

デニスによるプロデュースであるが、何故かボーカルとコーラスが小さく、ドラムやファズ・ギターが目立つミックスになっている。 シングル「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」のB面にも収録。

セッション集『アイ・キャン・ヒア・ミュージック‐20/20セッションズ』には一部デニスがリード・ボーカルの別バージョンを聴く事が出来る。

作者:D.Wilson - S.Kalinich

リード:Mike


ブルース・ジョンストンが作った非常に美しい旋律を持ったインストゥルメンタル曲。ビーチ・ボーイズのメンバーとしてブルースが作品を提供するのはこれが初めてである。 ブルース自身のプロデュースで、どことなく彼の後のヒット曲「歌の贈りもの」に通じるような雰囲気を持っている曲である。

ピアノやヴィブラフォン、ハープシコード、パーカッションの使い方がブライアンとは一味違う繊細な世界を展開させている。 優雅で感傷的なストリング・アレンジはヴァン・マッコイ。 シングル「コットン・フィールズ」のB面にも収録された。

20/20のセッション集『アイ・キャン・ヒア・ミュージック‐20/20セッションズ』には別テイクを聴く事が出来る。

作者:B.Johnston


アル・ジャーディンとブライアンがプロデュースしたトラディショナル・フォーク・ソング。 黒人フォーク・ソング歌手のレッドベリーの曲として知られるが、ビーチ・ボーイズは華やかなカントリー・タッチに仕上げている。 リード・ボーカルはアル。

70年4月20日にキャピトル最後のシングル曲としてリリースされ、アメリカでは不発だったものの、イギリスやオーストラリア、日本などで大ヒットしている。 このシングルはアルがアレンジし直した別バージョンで、スティール・ギターが際立つもっとドライブ感のある素晴らしいもの。

シングル・バージョンは2001年の『ホーソーン,カリフォルニア』に収録。 また、2021年にリリースされた『フィール・フロウズ:サンフラワー&サーフズ・アップ・セッションズ 1969~1971』デラックスエディションにはボーカル・トラックを聴くことができる。

因みに傑作アルバム『サンフラワー』のイギリス版にはこの曲がオープニング・ナンバーとして収録されていた。

作者:H.Ledbetter

リード:Alan


ブライアンの単独作品で、「散歩中に公園でうっかり寝てしまった」というような当時の彼の気楽な生活ぶりが歌われている。 リード・ボーカルとプロデュースも彼によるもの。 クラリネットと三拍子のボンゴの調べがスローな子守唄のような曲調で、最後の「小鳥が飛び去ると僕は眠りについた」という箇所では鳥がさえずる効果音が入っている。

2001年の未発表音源集『ホーソーン,カリフォルニア』にはいびきの音がはっきり聞こえるバッキング・トラックが収録されている。

作者:B.Wilson - C.Wilson

リード:Brian


ブライアンが作ったバロック・ポップ。彼がレッドウッド(後のスリー・ドック・ナイト)をデビューさせるために「ダーリン」とともに67年10月にレコーディングしていたもの。 カールは棚上げになっていたこの曲をミックスし直してこのアルバムに収録した。 リード・ボーカルはカール、サビをブライアンが歌っている。 ラヴ・ソングであるが都会を離れて雪山で自然を楽しむといった内容が歌われており、ワルツのリズムに乗った牧歌的なサウンドが気品溢れる楽曲に仕上げている。 中間部、いきなりボリュームが上がる箇所があるのでご注意を。

レッドウッドのためにレコーディングした時のベーシック・トラックを使ったカールとブライアンが歌う別バージョンは2001年の『ホーソーン,カリフォルニア』で聴く事ができる。 この初期バージョンは間奏にフレンチ・ホルンやトランペットのソロが入る、よりクラシカルな作風で、最後は美しいアカペラでエンディングを迎える非常に興味深いものだ。 又、フレンズセッション集『ウェイク・ザ・ワールド‐フレンズ・セッションズ』にはこの曲の初期デモを収録。

作者:B.Wilson

リード:Carl, Brian


デニスとカールがプロデュースしたサイケデリック・ソング。

元はカルト集団の指導者チャールズ・マンソンが作った「シース・トゥ・イグジスト(存在に終止符を)」という曲であったが、タイトルと歌詞を書き換えてデニス単独作品として収録した(歌詞は「シース・トゥ・レジスト(反抗に終止符を)に書き換えられている)。 歌詞だけは変えないでほしいという条件を出していたマンソンは、このデニスの行為に怒り狂ったという。

オープニングの不協和音はシンバル音を逆再生して引き伸ばしたもの。 ホーン・アレンジやコーラスなどセンスの良さが光る秀作で、シングル「青空のブルーバード」のB面にも収録されている。

『アイ・キャン・ヒア・ミュージック‐20/20セッションズ』にはこの曲のバッキング・トラックやアカペラを聴く事が出来る。 他にもデニスの未発表曲のデモなどが多数収録されていて、当時の彼の創作意欲の高さが伝わるものになっている。 ただ、このセッション集、ラフすぎるデモや単なるリミックスが多く、ややネタ切れ感は否めない。。

作者:D.Wilson(C.Manson)

リード:Dennis


教会音楽のような厳粛な雰囲気を持った小曲。 「プレイヤー」とは"祈り"という意味。 ブライアンの作品でプロデュースも彼。

"スマイル・セッション"でレコーディングされた歌詞の無い美しいアカペラ曲で、ここではコーラスをオーバー・ダビングして収録。 ブライアンは『スマイル』のオープニング曲と考えていたようで、2011年にリリースされた『スマイル・セッションズ』でも1曲目に収録された。

作者:B.Wilson

リード:Group


この曲も"スマイル・セッション"でレコーディングされた「キャビン・エッセンス」という曲にコーラスを追加、タイトルを「キャビネッセンス」に変えて収録。

ブライアンとヴァン・ダイク・パークスが作った大作で、"ドゥイン、ドゥイン"という奇妙なコーラスの付いた、のどかなカントリー調のパートと、壮大なコーラス「Who run's iron horse(誰が機関車を走らせた)」が繰り返される大合唱パート、不気味で謎めいたエンディングのパートに分れている組曲風の作品。 ノコギリ音のようなチェロや地獄から沸き上がってくるようなチューバなどサウンドが実に斬新だ。 リード・ボーカルはカールとマイク。マイクはダブル・トラックであるが、カールはADT処理(電気的に作られたダブル・トラック効果)が施されている。プロデュースはブライアン。

内容はアメリカ開拓の歴史と大自然の驚異について表現したものらしいが、「Over and over, the crow cries uncover the cornfield(何度も何度もカラスが鳴いてトウモロコシ畑がむき出しになる)」というエンディングの歌詞の意味についてマイクが激しく反発、ヴァン・ダイクがプロジェクトを去る原因となった曰くつきの曲である。

作者:B.Wilson - V.D.Parks

リード:Carl, Mike



ボーナストラック

ブライアンとレジー・ダンバーの共作。レジー・ダンバーとはブライアンの父、マリー・ウィルソンのペン・ネームなので、この作品は数あるビーチ・ボーイズ作品の中でも唯一の親子共作曲である。 リード・ボーカルはカール。 最初はマリーとの共同作業を嫌がっていたブライアンであったが、仕上げていくうちにのめり込み、久しぶりの自信作となった。 やる気を無くしたブライアンに刺激を与えるというマリーの狙いは一応は成功したといえる。

レコーディングは"スマイル・セッション"以来となるゴールド・スター・スタジオで行われた。 ビーチ・ボーイズのコーラス・ワークは本当に素晴らしく、この高い音楽性はアルバム『サンフラワー』に引き継がれる事になる。 69年6月23日に「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」に続くシングル曲として発表され、アメリカでは63位であったがイギリスでは6位まで上昇するヒットを記録した。

歌詞はブライアンを苦悩させている“頭の中で聞こえる声”を振り払い、新たな旅立ちを祝福するような希望に満ちた内容。 ブライアンの自由を奪っていた呪縛とはキャピトルだったのか? それとも父マリーだったのか? それとも・・??

98年の『エンドレス・ハーモニー』にはブライアンのガイド・ボーカルが入ったデモ・バージョンを収録。 2001年の『ホーソーン,カリフォルニア』にはブライアンが一部リードをとった素晴らしい別バージョンを聴く事が出来る。これを聴いた時に小生が受けた衝撃は凄かった。

作者:B.Wilson - R.Dunbar(M.Wilson)

リード:Carl


デニスとグレック・ヤコブソンが作ったサイケデリック・ソングの傑作。 淡々と歌われるリード・ボーカルはデニス。 不運を捨て新しい事を祝福しよう、という内容は、忌わしいチャールズ・マンソンとの決別を意味しているかのようだ。

シングル「ブレイク・アウェイ」のB面として発表されたが、A面に匹敵する完成度を誇る。 ブライアンのフォルセット・ボイスも入った重厚なコーラスは迫力があり、この圧倒的なハーモニーはアルバム『サンフラワー』を予感させるに十分である。

作者:D.Wilson - G.Jacobson

リード:Dennis




20/20

ネガが反対の裏ジャケット写真。



20/20

ジャケット内側の見開き写真。ブライアンの表情が印象的。



恋のリバイバル

作曲・作詞:ブライアン・ウィルソン/マイク・ラヴ


古い友人と話すことといえば
昔知り合った女の子の話題
長くて柔らかい髪
いつもビーチに行っていた
あのお気に入りの場所へ

日焼けした体に
太陽に輝く波
カリフォルニア・ガールズと
美しい海岸線
晴れ上がった日
一緒にいこうぜ
もう一度

月明かりの下で女の子と過ごした静かな海
暖かで暗い夜に時間を共にしたね

とても長い時間
ヘイ、ナウ、ヘイ、ナウ、ヘイ、ナウ、ヘイ、ナウ
ヘイ、ナウ、ヘイ、ナウ、ヘイ、ナウ、ヘイ、ナウ

さて、僕が考えている事
サーフィンやダンスした全ての場所
しばらく逢っていないみんなの顔
昔に戻って、もう一度始めよう

対訳:管理人




思い出

 かれこれ30年以上も前の事。

当時小生は新潟中央自動車学校に通っていたが、何故か学校に行く途中に石丸電気(今は無き新潟店!)でこのアルバムを衝動買いしてしまった。学校内にLPを持ち込めず、自転車の籠にレコードを入れたまま教習に。帰るとき、当然籠は空であった(笑)。

とった人はこのレコードを聴いたのだろうか? 今となっては知る由も無い、ある秋の思い出である。





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