サーフィン・サファリ
Surfin' Safari


HOME  ビーチ・ボーイズ TOP  戻る

62年10月に発表されたビーチ・ボーイズのデビュー・アルバム。
「サーフィン」、「サーフィン・サファリ」収録。



Surfin' Safari 次のアルバム

プロデュース:ニック・ヴェネット

Capitol Revel 1962.10.29


ヒストリー

ロサンジェルス中央部から15キロほど南東に位置する、新興住宅街“ホーソーン”。 そこで生まれ育ったブライアン、デニス、カールのウィルソン3兄弟と、従兄弟のマイク・ラヴ、そしてブライアンのハイスクール時代からの親友だったアル・ジャーディンの5人により、当時若者に人気のストライプのシャツから引用した“ペンデルトーンズ”という名前のバンドを結成した。

1961年初頭の事である。

少年たちはハイト、ドリンダのモーガン夫妻が経営する音楽出版会社のオーディションに合格し、無名のレコード会社“Xレコード”と契約する。

その年の12月、ローカル・レーベルのキャンデックスから、グループ名“ザ・ビーチ・ボーイズ”としてシングル「サーフィン」を発表。 75位のスマッシュ・ヒットとなるが、メンバーのアルはこの時の印税収入の少なさに将来の不安を感じ、学業に専念するためにグループを脱退、替わりにブライアンの自宅の近所に住んでいたデヴィッド・マークスが加入する。

ブライアンたちはグループ名が“ペンデルトーンズ”から“ビーチ・ボーイズ”に無断で変えられたことにひどく憤慨したが、すでにあとの祭りであった。

「サーフィン」のヒットで、元々音楽好きだったブライアンの父親、マリー・ウィルソンがグループのマネージャーを買って出る。 マリーは経営不振のキャンデックスに見切りをつけ、出版権を持つ会社に無断で新たなレコード会社への売り込み活動を始める。 強引なやり方ではあったが何とか大手キャピトル・レコードとの契約を取り付ける事に成功するのだ。

キャピトルからリリースされた初めてのシングル曲「サーフィン・サファリ」が全米14位まで上昇。 このシングルのヒットにより、ファースト・アルバムが制作される。 当時ブライアンは20歳、マイク21歳、デニス17歳、カール15歳、デヴィッドは14歳であった。

後にカリフォルニアの音楽を変えるアン・アメリカン・バンドのデビューである。


アルバム解説

1962年6月に大手レコード会社、キャピトルからリリースされたファースト・シングル「サーフィン・サファリ」が8月には全米14位まで上昇する。 シングル曲のヒットを受け、急遽制作されたのが62年10月29日に発表された本作『サーフィン・サファリ』である。

アルバムはキャピトル・レコードの若きプロデューサー、ニック・ヴェネット(当時21歳)のもと、8月から9月初旬の数回のセッションで録音されている。 レコーディングではブライアンの父、マネージャーのマリー・ウィルソンから少年たちへの細かい指示がかなりあったようだ。

アルバム・ジャケットは、何かとうるさいマリーに内緒でマリブー・ビーチまで行って撮影された。

地元の建設会社からレンタルしたトラックに乗り、お揃いのチェックのシャツを着てサーフボードを抱えている。 因みに、トラックのフロントに座っている少年がアル・ジャーディンの替わりに入ったデヴィッド・マークスである。

マリーは長男のブライアンには特に厳しく、メジャーデビューした快挙もろくに褒めずに「まだなっちゃいない」と息子を叱り付けていた。 確かに演奏経験も殆どなく、サウンド的にはガレージ・バンドの域を出ていない辿辿たどたどしいもの。

このアルバムでは後のビーチ・ボーイズらしい暖かみのある芳醇なコーラス、ハーモニーをまだ聴く事はできないが、若々しく奔放なエネルギーと“きらりと光る”メロディ・メイカーとしての片鱗は窺える。

小生の好き度

★ ★ ★ ★ ★

キャピトル・レコードにおけるビーチ・ボーイズのデビュー・シングル。マイクの詞にブライアンがメロディーを付けたオリジナル作品。リード・ボーカルはマイク・ラヴ。

元々この曲は62年2月にモーガン夫妻のスタジオで録音されており、権利は夫妻が持っていた。 にも関わらずキャピトルとの契約を取り付けるため、当時のマネージャーであったブライアンの父、マリー・ウィルソンのプロデュースにより、夫妻に無断で4月15日に再レコーディングされている。 因みにこのウェスタン・スタジオでのレコーディングで、のちにビーチ・ボーイズのサウンド・エンジニアとなるチャック・ブリッツとブライアンらは出会っている。

キャピトル・レコードの若きレコーディング・プロデューサーであったニック・ヴェネットがこの曲を気に入り、見事キャピトルとの契約成立となった。 キャピトルからは62年6月4日にグループのファースト・シングルとして発表。 サーフィンとは無縁の内陸部のアリゾナ州フェニックスやニューヨークで人気となり、全米14位をマークする。

この時期の彼らの作品の中では出色の出来映えで、非常に軽快なサウンドを聴かせる。 62年を舞台にしたジョージ・ルーカス監督の青春映画『アメリカン・グラフィティ』(73年公開)でもこの曲が登場する。

なお、この曲と「409」は、マリーがウェスタン・スタジオでプロデュースしたバージョンがそのまま収録された。

2022年のデビュー60周年記念版『ザ・ベリー・ベスト・オブ・ザ・ビーチ・ボーイズ:サウンド・オブ・サマー』に初のステレオ・ミックスが収録。

作者:B.Wilson

リード:Mike


ブライアンとゲイリー・アッシャーが作った楽しい雰囲気の曲。 カウンティ・フェアとは郡記念祭の事で、農業や酪農に関連した展示公開イベント。

間奏とエンディングにサーカスでよく演奏される「Over The Waves」のメロディが登場する。 呼び込みの声はプロデューサーのニック・ヴェネットと、ニックの弟のガールフレンド、レア・カーロによるもの。

軽快な曲なのだが、マイクのボーカルはたどたどしく、所々音程を外している。 この曲は後に「アイ・ドゥ」としてアレンジされ、カリフォルニアの4人組グループ、キャステルズによって64年に発表された。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Mike


日本でも有名な童謡「10人のインディアン」を原曲にした、ブライアンとゲイリー・アッシャーの作品。 マイクのリード・ボーカルは少しふざけたようなユニークな歌いまわしになっている。 何でこの曲を取り上げたのか不思議な感じがするが、どうやらプロデューサーのニック・ヴェネットが提案したものらしい。

「サーフィン・サファリ」に続く、キャピトルでのシングル第2弾としても発表(最高位49位)。 B面は「カウンティ・フェア」。「サーフィン」から数えるとグループ3枚目のシングルである。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Mike


チャガ・ラガとはビールなどを一気に飲み干すという意味の俗語の事で、当時の若者に人気のあったルート・ビアというノン・アルコールの炭酸飲料について歌った曲。 歌詞中にゲイリー・アッシャーやデニス、カール、デイブ(デヴィッド・マークス)、ブライアンらメンバーの名前が登場する、マイクから見た彼らの日常が描かれている。

間奏にオルガンやギターのソロが入った初期ビーチ・ボーイズらしい軽快な曲に仕上がっている。 エンディング付近では手拍子も聞こえる。

作者:B.Wilson - M.Love - G.Usher

リード:Mike


オリジナルはヴィンセント・カタラーノとハーブ・アルバートの作品で、カリフォルニアのポップ・グループのダンテ&ヒズ・フレンズにより発表されている。 まだ初々しく繊細な印象のリード・ボーカルはデニス。また、マイクのバス・ボイスが効果的に使われている。

「青い瞳、ブロンドの髪、映画スターのような唇」と歌われるリトル・ガールであるが、ずっと後に「ベイビー・ブルー」という作品をデニスが書くが、妙な因果を感じてしまう。

この爽やかなミディアム・テンポのラヴ・ソング、小生は結構好きである。

作者:Catalano - Herb Alpert

リード:Dennis


若者に人気のあったスポーツ・カーのシヴォレー409の事を歌った曲。 歌詞は車が大好きなゲイリー・アッシャーによるもの。 いわゆる「ホット・ロッド」といわれるカスタムカーをテーマにした曲であるが、ブライアンはその後も数多くのホット・ロッド・ソングを手がけることになる。 随所に聴こえる車のエンジン音はゲイリーの愛車シヴォレー348のもので、夜中にブライアンの自宅で録られたそうだ。

シングル「サーフィン・サファリ」のB面としてもリリースされたが元々はこちらがA面であった。

この曲もモーガン夫妻が販売権を所有していたが、「サーフィン・サファリ」と同様、マリーにより無断で再録音されている(他に「サーファー・ムーン」「ジュディ」も録音された)。

作者:B.Wilson - M.Love - G.Usher

リード:Mike


モーガン夫妻のオーデションで合格したデビュー曲。無名のXレコードから61年12月に発表され最高位75位を記録。 その時のB面は「ルアウ」というモーガン夫妻の息子ブルース・モーガンの作品であった。

「サーフィンを歌にしよう」と提案したのはデニスで、そのアイデアを元にブライアンとマイクが作ったオリジナル作品である(マイクは殆ど自分が作ったものだと主張しているが)。 アメリカ西海岸でブームになりつつあったサーフィンを題材にしているものの、メンバーの中で実際にサーフィンが出来るのはデニスだけである。

いきなりアカペラのコーラス(衝撃的な!)で始まり、シュッシュ・ポッポと蒸気機関車が走っていくような感じのする、何とも不思議な作風だ。 手作り感満載のサウンドが特徴で、このアルバムの中でも異彩を放っている。 オーデションではデニスがふて腐れたためにブライアンがドラムの代わりにゴミ箱を叩いたという逸話がある。

93年の『グッド・ヴァイブレーションズ・ボックス』では全編アカペラのリハーサルを聴く事ができる。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Mike


コインの裏表で賭けをする遊びについて書いた曲。 サウンドは当時のサーフィン・ソングの典型的なもの。

歯切れのいいデニスのドラムがリズムを引っ張る非常にテンポがいい曲で、メジャー・コードと緊張感のあるマイナー調とが交互に繰り返される。 ブライアンとゲイリーの共作。 ここでも効果的なマイクのバス・ボイスが聴ける。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Mike


60年に事故死したロック歌手のエディ・コクランとそのマネージャーのジェリー・ケイプハートが作ったブルース調の作品。 少しコミカルな感じもする歌い方であるが、何とカールとデヴィッド・マークスがデュエットのように歌っている。 カールにとっては初の、デヴィッドにとっては唯一のメイン・ボーカル曲である。サビのフレーズはマイク。

この曲のレコーディング中、偶然キャピトルのスタジオに居たコクランの元ガールフレンドとマネージャーのジェリーが大変感激したという逸話がある。

作者:Eddie Cochran - Jerry Capeheart

リード:Carl, David Marks, Mike


イントロなしでいきなりサビから入るような、全篇ハイテンションな曲調である。 父親のマリーが当時飼っていた九官鳥をモチーフにしたブライアンとゲイリーのオリジナル作品。 彼女といいムードになるのに何時もカッコー時計に邪魔される、という内容は口うるさいマリーに対する当てつけなのかも知れない。

リード・ボーカルは作者のブライアン。デニス同様、まだ初々しさの残る、微笑ましい感じの歌い方であるが、胸が切なくなるようなメロディ・ラインは中々のもの。 ブライアンの豊かな才能の一端を垣間見る事が出来る、隠れた名曲である。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Brian


59年のギャンブラーズの作品で、初のサーフィン・インストといわれている曲。 効果音的にメンバーが犬の鳴きまねをしている。

全体的にクールな仕上がりであり、特にカールのリード・ギターは中々の腕前だ。

作者:Derry Weaver


シフトとは当時流行していた薄手のドレスの事。元々ブライアンの単独作品「ザ・ベイカー・マン」という曲にマイクが歌詞をつけたもの。 リード・ボーカルはマイク。

この時期らしい荒削りな作風ではあるが、コード進行など工夫が見られる。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Mike



ボーナストラック

ヴィンス・マーティン&ザ・タリアーズとエディ・フィッシャーがそれぞれ発表した曲。 カバー曲であるが、ブライアンのリード・ボーカルがマッチしていて、このアルバムにぴったりの曲調。 曲の冒頭、マリーの指示する声「はやくやっちまえ」が聞こえる。

『サーフィン・サファリ』のセッションでレコーディングされたが、アルバムの選曲から漏れ、未発表。現在ボーナス・トラックとして聴くことができる。

作者:B.Barons - B.Long

リード:Brian


船乗りの心情を歌った、ブライアン作の軽快な曲。リード・ボーカルはマイク。

『サーフィン・サファリ』のセッションでレコーディングされたが、アルバムに「サーフィン」を収録する事になったため、選曲から漏れ、何故か未発表となった。 小生としては『サーフィン・サファリ』セッション曲の中でも出来がいい曲だと思うのだが。 このセッション中、唯一ステレオでミキシングされている。

初めてリリースされたのは83年の未発表音源集『リアリィティーズ』。 現在では『サーフィン・サファリ』ボーナス曲として聴く事ができるが、オープニングのカウントがカットされている。

この曲は後に「チェリー・チェリー・クーペ」に改作され、63年のアルバム『リトル・デュース・クーペ』に収録される。

作者:B.Barons - B.Long

リード:Brian




サーフィン・サファリ

作曲:ブライアン・ウィルソン、作詞:マイク・ラヴ


さあ今すぐサーフィンしようぜ ※1
みんなが始めてる
僕と一緒にサファリに行こう
(僕と一緒にサファリに行こうぜ)

朝早くから飛び出そう
サーファーガールたちもやってくる
愛車のワゴンにサーフボードを積み込んで
ご機嫌でこの歌を歌うんだ

カモン・ベイビー、見てごらん ※2
そうさ君もサーファーさ
一緒にベイビー、見てごらん
そうさ君もサーファーさ

(※1 繰り返し)

ハンティントンとマリブビーチじゃ
桟橋くぐりをクールにきめ
リンカーンでは先端まで突き進むんだ
今年は島までサファリに行くつもりだから
来る気があるなら準備しな

(※2 繰り返し)

(※1 繰り返し)

セロ・アズールとラグーンではカーブを描き
ドヒニまで到達している
ワイルドなサーフィンは伝説となり
その噂はどんどん広がっていくのさ
ハワイからペルーの海岸まで

(※2 繰り返し)

(※1 繰り返し)

対訳:管理人





次のアルバム

HOME  ビーチ・ボーイズ TOP  このページの先頭

戻る


トップへ