サーフィン・U.S.A.
Surfin' U.S.A.


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63年3月にリリースされたビーチ・ボーイズの2枚目のアルバム。
全米3位のタイトル曲、「シャット・ダウン」、「ロンリー・シー」収録。



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プロデュース:ニック・ヴェネット

Capitol Revel 1963.3.25


ヒストリー

曲作り担当のブライアンは、当時マイクと共作していたが、親友のゲイリー・アッシャーとも数多く曲作りを行っていた。 ブライアンの父親でマネージャーのマリー・ウィルソンは息子が部外者であるゲイリーと共同で曲を書くことが気に入らず、楽曲の権利を管理するために“シー・オブ・チューンズ”という出版社を設立する。 勿論代表者はマリー・ウィルソンで、重要な取り決めは彼の承諾が必要な契約を盛り込んだものだった。

また、ブライアンが「サーフィン・U.S.A.」のアイディアを温めている頃、ビーチ・ボーイズの先輩格であったジャン&ディーンのジャン・ベリーがこの曲を気に入り自分たちがリリースしたいと申し出る。 ブライアンは「サーフィン・U.S.A.」の代わりに自作の「サーフ・シティ」を提供するのだが、後にその「サーフ・シティ」が全米ナンバー・ワンに。 初の1位にブライアンは狂喜するがマリーは激怒する。

マリーはジャン&ディーンを“海賊”と呼び、ブライアンを酷く罵倒したという逸話が残っている(マリーは常々ブライアンに「お前は負け犬だ」と言い、どんなに成功してもけして褒める事は無かったという)。 以後、ブライアンの楽曲は門外不出となる。

さて、キャピトル・レコードはビーチ・ボーイズの人気を一時的なものと考え、“売れるうちに売っておけ”とばかりにシングル、アルバムを次々発売していく。

4枚目のシングル「サーフィン・U.S.A.」は全米3位の大ヒットを記録、この曲を収録したセカンド・アルバムは全米第2位まで上昇した。 この成功でキャピトルはビーチ・ボーイズに大きな期待を持つようになる。 キャピトルはビーチ・ボーイズとの契約条件に年間3枚のアルバム・リリースを盛り込んだ。 これはブライアンにとって重圧になる新譜要求が始まる事を意味していた。

レコード会社と父親の2つの大きなプレッシャーがのしかかろうとしている事に彼はまだ気づいてはいなかった。


アルバム解説

1963年3月25日にリリースされたこのアルバムも“サーフィン・ソング集”的な企画アルバムとして制作されたようで、アルバム・ジャケットも波乗りサーファーのイメージ全開である。 当時のサーフ・ミュージックの多くはインスト曲が主流で、このアルバムにも4曲のインスト・ナンバーが収録されている。

レコーディングは63年1月末から2月中旬の3回、キャピトルのスタジオで行われた。 プロデューサーはニック・ヴェネットとクレジットされているが、全ての曲にマネージャであるマリー・ウィルソンが介入し、口論が絶えなかったという。 だが、ニックは常にブライアンに意見を求め、最終的にブライアンの意思を優先したという。

前作『サーフィン・サファリ』と比べると一聴して立体的なサウンドになっている事がわかる。 全曲ステレオ・ミックス、楽器やコーラスの重ねかた、曲作りに工夫が見られる。 又、62年夏には初めての演奏ツアーがあり、確実に歌唱力・演奏面でレベルが上がっている。

本作は、サーフィン・バンドとしてのビーチ・ボーイズ・サウンドが確立された、最初のアルバムといえる。 シングル曲の「サーフィン・U.S.A.」は、グループ初の大ヒット曲となった。

そしてアルバム中、おそらく最も重要な曲は、ゲイリー・アッシャーとの初めての共作曲「ロンリー・シー」であろう。ブライアンの繊細さが際立つバラードで、次回作『サーファー・ガール』の内省的な世界観を予見させるものである。

小生の好き度

★ ★ ★ ★ ★

チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」を元に、ブライアンが新たな歌詞を付けたグループ初期の代表作。

マイクのダブル・トラックのボーカルとブライアンのフォルセット・ボイス、軽快なコーラス、歯切れのいいギターとドラム。原曲を遥かに超えた斬新なアレンジはビーチ・ボーイズ・サウンドとして確立されたといえる。 アメリカ中のサーフィン・スポットが次々登場する歌詞は、ブライアンがチャビー・チェッカーの「ツイスティン・U.S.A.」から思いついたアイディアであった。

通算4枚目のシングル曲として全米3位の大ヒットを記録し、良くも悪くもグループのイメージを決定付ける事になる。

ジャン&ディーンのディーン・トーレンスはこの曲について、ブライアンのピアノ弾き語りを電話口から初めて聴き、衝撃を受けたと回想している。 このブライアンの初期のデモ・バージョンは、93年の『グッド・ヴァイブレーションズ・ボックス』、01年の『ホーソーン,カリフォルニア』に収録されている。 又、『ホーソーン,カリフォルニア』にはデニスのかっこいいドラム・プレイが楽しめるバッキング・トラックも聴ける。

作者:C.Berry(B.Wilson)

リード:Mike


全編ブライアンの透き通ったフォルセット・ボイスが爽快な佳曲。 ブライアンとマイクの共作。「サーフィン・U.S.A.」以上にビーチ・ボーイズらしい素晴らしい出来栄えだ。

農場の娘について歌われているが、彼らは田舎暮らしに憧れを抱いていたのだろうか? コーラスを全面にフィーチャーした心地良いサウンドは、このアルバム中、小生一番のお気に入りである。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Brian


当時大人気のディック・デイル&ザ・デルトーンズの有名サーフィン・ソングのインストゥルメンタル・ナンバー。

非常にクールな演奏で、特にカールのギター・テクニックは本家にはかなわないものの中々の腕前である。

作者:Roubanis - Wise - Leeds - Russell


ブライアンが初めて書いたインストゥルメンタル・ナンバー。 曲の合間に「Go!」の掛け声が入る。 ここでもカールのギターが冴えている。

ストウクトとはサーフィンが上達して有頂天になる、というサーフ用語だそうだ。

作者:B.Wilson


まだキャピトルと契約する前の62年1月、ブライアンとゲイリー・アッシャーが初めて会った日に一緒に作った曲。 その時デモ・テープを作ったが、ブライアンは本物の波の音を入れたがり、真夜中に2人でテープ・レコーダーと100フィートの延長コードをマンハッタン・ビーチに持ち込み、電源プラグを借りるために近くの家々を回ったそうだ。

62年4月の録音であるが、前作『サーフィン・サファリ』では他の曲とイメージが違いすぎるために収録を見送られた。

ブライアンはレコーディング中、父マリーからしつこくこの曲のダメ出しを言われ続け、遂に我慢できず激しい口論になったという。 彼にとって特別な思い入れのある作品だったのだろう。

曲の途中に台詞が入るのはビーチ・ボーイズの曲としては珍しい。 そういえば、後の傑作バラード「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」にも1言「I love you」の台詞が入っていた。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Brian


ブライアンが作ったメロディに、当時ロスのラジオ局KFWBのDJだったロジャー・クリスチャンが歌詞を付けた曲。 シヴォレー413とスティングレイのホット・ロッド・レースについて歌ったもので、ロジャーは大の車好きであった。

ロジャーとはゲイリーを通じての知り合いで、その巧みな話術と車の知識にすっかり魅了されたブライアンは、この後も数多くの作品で共作する。 一説によると、ロジャーをブライアンに引き合わせたのはゲイリーを追い出したいと考えていたマリーとも言われている。

間奏のガサツなサックスはマイクによるもの。 シングル「サーフィン・U.S.A.」のB面ながら23位のヒットを記録した。

作者:B.Wilson - R.Christian

リード:Mike


ブライアンとマイクの共作。ボーカルはマイクを中心としたメンバーのコーラス。 歌詞は伝説のサーファーについて歌われたもので、非常に歯切れが良いサウンドが特徴だ。

間奏に登場する鉄琴のような印象的な音は、小型の鍵盤楽器“チェレスタ”によるもの。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Group


ベンチャーズなどもカバーしている、ビル・ドゲットの56年の大ヒットしたインスト曲(全米2位)。 ホンキー・トンクとは、わざとチューニングをずらしたビアノによる演奏の事。

ビーチ・ボーイズはあまりインスト・バンドとしてフィーチャーされないが、 この曲などはかなり充実した演奏を聴かせている。

作者:Doggett - Scott - Butler - Sheper - Glover


ブライアンの単独作品。リード・ボーカルもブライアン。「ファーマーズ・ドーター」同様、彼の美しいフォルセット・ボイスは実に心地良い。

間奏で聴こえるフレーズはギターとチェレスタのユニゾン奏法。 このアルバム中、唯一ウェスタン・スタジオで録音されている。

作者:B.Wilson

リード:Brian


カール・ウィルソンの作曲によるインストゥルメンタル曲。 カールのギターをフィーチャーした軽快なサウンドで、バッキングにサックスの音も聴こえる。

演奏のパターンが次々変わるサウンド構成は、後に発表されるインスト曲「シャット・ダウン・パート2」に類似していると思う。

作者:C.Wilson


「ミザルー」の作者ディック・デイルによるヒット・ナンバーのカバー。 激しいギター・リフのサーフ・ミュージックである。

ビーチ・ボーイズ・コンサート』でも取り上げられ、ステージではもっと乗りのいい演奏を聴かせている。

作者:D.Dale


不思議なコーラス、めまぐるしく変わる展開、ブライアンの才能が発揮された一風変わった曲。 シャッフル・ビートやブギ・ウギ調の異なるパートを繋ぎ合わせたようなサーフィン・ソングである。

今考えると後のブライアンが作る組曲のような作品にも通じるようで、彼の嗜好の片鱗が垣間見れる実に興味深いもの。と思うのは考えすぎか?

作者:B.Wilson - M.Love

リード: Mike, Brian



ボーナストラック

ブライアンの作品で、当時流行していたロコ・モーションなるダンス・ミュージックにアレンジしているそうだ。

メロディーの一部は、前作『サーフィン・サファリ』収録の「シフト」に流用されている。 ブライアンにしては珍しい、搾り出すような歌い方で、エンディング近くではシャウトしている。

作者:B.Wilson - M.Love

リード: Mike, Brian




サーフィン・U.S.A.

作曲:チャック・ベリー、作詞:ブライアン・ウィルソン、マイク・ラヴ


もしアメリカ中の誰もが海を持っていたなら
みんなカリフォルニアのようにサーフィンをするだろう
彼らと同じようにバギーパンツを身に着けて
フラチ・サンダルを履き
ボサボサのブロンド・ヘアーで
アメリカ中をサーフィンさ

デル・マーでサーフィンする彼ら
ヴェンチュラ郡の中心地でも
サンタクルスとトレッスル
オーストラリアのマラビーンでも
マンハッタン中
ドヒニ通りの中心でも

みんながサーフィンするだろう
アメリカ中をサーフィンさ

みんなルートを計画して
すぐに連絡取り合って
サーフボードにワックスかければ
6月までは待ちきれないさ
夏になればみんな浮き浮き
サファリに繰り出そう
先生に会ったら言っときな
アメリカ中をサーフィンするって

ハガティーズとスワミズ
太平洋の断崖
サンタオフリーとサンセット
LAのレドンド・ビーチ
ラ・ホーラのそこらじゅう
ワ’イメア湾で

みんながサーフィンするだろう
アメリカ中をサーフィンさ

対訳:管理人




蛇足

本作からステレオ・ミックスになるが、当時のアメリカではモノ・ミックスが主流だったため、ステレオとモノが同時に販売されていた。ステレオ・ミッスクをモノにするのではなく、別々にミキシングされたため、曲によっては著しいバージョン違いが生まれる原因にも。。。。

モノラルはブライアン、ステレオはニック・ヴェネットがミキシングを行ったそうだ。次回作から『ビーチ・ボーイズ・クリスマス・アルバム』までのステレオ・ミキシングはチャック・ブリッツが担当、モノはすべてブライアンの仕事である。





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