サーファー・ガール
Surfer Girl


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63年9月にリリースされたビーチ・ボーイズ3枚目のオリジナル・アルバム。
「サーファー・ガール」、「イン・マイ・ルーム」などのバラード色の強い初期の傑作。



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プロデュース:ブライアン・ウィルソン

Capitol Revel 1963.9.23


ヒストリー

前作『サーフィン・U.S.A.』の成功で気をよくしたキャピトル・レコードは4ヵ月後に『サーファー・ガール』を、更に1ヶ月後に『リトル・デュース・クーペ』をアルバム・リリースさせる事に。 この頃からキャピトルの新譜要求にプレッシャーを感じるようになったブライアン・ウィルソンであったが、同時にアルバムをより良いものにしたいと思うようになった。

ブライアンの父、マネージャーのマリー・ウィルソンのゴリ押しで、それまでのプロデューサーであったニック・ヴェネットを追い出し、ついにブライアンがプロデュースする事になる。 新人ミュージシャンにプロデュースさせるなど“前例のない”事であったが、「サーフィン・U.S.A.」の大ヒットでブライアンに対するキャピトルの信頼が高まっていたのかも知れない。

「"ウェスタン"で録音した方がいいアルバムが作れる」というブライアンの主張に対し、キャピトルは外部スタジオの使用に難色を示した。 しかし、"ウェスタン"で録音した試作曲「サーファー・ガール」「リトル・デュース・クーペ」を聴いた役員が、キャピトルの本社に自社用スタジオがあるにも関わらずウェスタン・スタジオでのレコーディングにGOサインを出したという。

以後、ウェスタン・スタジオはブライアンのホーム・スタジオとなった。 そして、ウェスタンの敏腕サウンド・エンジニアのチャック・ブリッツとの仕事が再開する。

“プロデューサー”ブライアン・ウィルソン、22歳の晩夏であった。


アルバム解説

1963年9月23日にリリースされたビーチ・ボーイズ3枚目のアルバム。 録音エンジニアはウェスタン・スタジオでの「サーフィン・サファリ」レコーディングからの縁でチャック・ブリッツが担当。 ブライアンは完璧を求め、チャックもそれに応えた。1日8時間以上のセッションを繰り返し、レコーディングは納得いくまで行われたそうだ。

曲によってはセッション・ミュージシャンを起用するなど、ブライアンの作品作りのこだわりが早くも出てきたといえる。 全12曲中、10曲がブライアンのオリジナル。残る2曲のアレンジもブライアンによるもの。 アメリカのジャズ・コーラス・グループのフォー・フレッシュメンの影響が顕著で、コーラスは今まで以上に磨きが掛かっている。

前2作で収録された曲は明るく軽快なものが殆どだったが、本作ではA面とB面の1曲目にバラードを配し、ムーディーなイメージをフィーチャーしている(レコードの場合は両面あって表をA面、裏をB面と呼んでいました・・・今は昔)。 ブライアン自身、キャッチーなものよりも内省的な作風のほうが得意だったのだろう。

アルバム・タイトルとは無関係と思えるようなジャケット写真は『サーフィン・サファリ』のアウト・テイクを使用。 サーフボードを抱えているメンバーのうち、前から2番目がデヴィッド・マークスである。 因みに本作からアル・ジャーディンがグループに復帰しているが、デヴィッドを忌々しく思っていたマリーが彼を追い出すために呼び戻したとも言われている。

それにしてもアルバム『サーファー・ガール』の完成度は非常に高い。 どの曲にもきらきらした輝きがあり、間違いなく初期の傑作である。 ブライアンとグループが辿ったその後の軌跡を考えると、このアルバム、ブライアンのパーソナリティがまんま出ている、そんなアルバムといえるのではないか。

全米第7位、ブライアン・ウィルソンの初プロデュース作品。

小生の好き度

★ ★ ★ ★ ★

まだキャピトル・レコードとの契約前、62年1月のある日、ブライアンがホーソーンでドライブ中に思いついたメロディで、家に帰り一気に書き上げた。 ビーチ・ボーイズの代表的なバラードで、当時からブライアンの1番の自信作であった。

ジャズ・コーラス・カルテットのフォー・フレッシュメン風のコーラスと、ブライアンのリード・ボーカルが素晴らしい。 アルバムに先駆けて63年7月22日に5枚目のシングルとして発売され7位まで上昇するヒットとなった。

ブライアンの当時のガールフレンドだったジュディ・ボウルズがモデルである、との説について、特定のモデルはいないとブライアン自身これを否定している。

68年に発表されたバッキング・トラック集の『スタック・オー・トラックス』にカラオケが聴ける。

作者:B.Wilson

リード:Brian


波をイメージするようなベース・ラインとシンバル、ハープが効果的な、明るく軽快なサーフィン・ソング。 ハープはマイクの妹、モーリーンによる演奏。

ブライアンの作品で、マイクとブライアン、デニスがリード・ボーカルを取った、ヒット性のある秀作。 この曲は歌詞をスケート・ボードに変えて「サイドウォーク・サーフィン」というタイトルでジャン&ディーンが大ヒット(全米1位)させている。

作者:B.Wilson (M.Love)

リード:Mike, Brian, Dennis


スタッカートを効かせたイントロがチャーミングなこの曲は、当時一人暮らしを始めたブライアンのルームメイトであったボブ・ノーバーグとの共作。

元々この曲は、ボブとボブの彼女のシェリの2人のデュオ、「ボブ&シェリ」名義で62年にリリースしていたが、ヒットはしなかった。 ボブは後にサヴァイバーズというグループを結成し、ブライアンのプロデュースで何枚かレコードを出している。 リード・ボーカルはブライアンによるダブル・トラックのハーモニーで、とろけるように甘い。

ビーチ・ボーイズの作品中、初めてストリングスのオーケストラが導入されているが、クラシカルで優美な雰囲気を盛り上げるブライアンのアレンジは本当に素晴らしい。 この曲のデモを録音した際、ブライアンは本物のコオロギの鳴き声を入れたそうだ。

作者:B.Wilson (B.Norberg)

リード:Brian


ダブル・トラックのドラムの連打が印象的なこの曲は、アメリカの作曲家フォスターの「スワニー川」を元に、ブライアンとデニス、アルがアレンジしている。 リード・ボーカルはマイクとブライアンによるユニゾン。

サウス・ベイとは、ウィルソン家の近くの湾で、デニスはそこでサーフィンをやっていた。

作者:B.Wilson - D.Wilson - A.Jardine

リード:Brian, Mike


ブライアンがアレンジしたオルガンがメインのインスト・ナンバー。 もともとは「グッド・ユーモア・マン」(意味は当時のアイスクリーム売りの会社名)というアメリカのトラディショナル・ソング。

曲の途中、何度か転調し、間奏からピッチカート奏法のカールのリード・ギターが登場する。

作者:Trad.Arr(B.Wilson)


シングル「サーファー・ガール」のB面ながら全米第15位まで上昇した、初期ホット・ロッド・ナンバーの傑作曲。

32年型のフォード、通称“デュース・クーペ”を愛しい恋人に例えた歌詞はロジャー・クリスチャンによるもので、この作品がロジャーとの初めての共作曲であった。 最初にロジャーがブライアンに詩を提供し、翌日にブライアンがメロディーを書いて出来上がったという。 リード・ボーカルはマイク。約1ヶ月後、この曲をフィーチャーしたアルバム『リトル・デュース・クーペ』にも収録。

2001年に発表された未発表音源集『ホーソーン,カリフォルニア』には、ブライアンが歌うもっとスローでブルージーな初期バージョンを聴くことが出来る。 アナログLP時代の邦題は「いかしたクーペ」。

作者:B.Wilson - R.Christian

リード:Mike


ブライアンとゲイリー・アッシャーのコンビによる作品の中では最高傑作であろう。リード・ボーカルはブライアンで、4声のハーモニーがスピリチュアルな雰囲気を醸し出す。 歌詞はゲイリーが書いたものであるが、内容は完全にブライアンの心情に基づいたもので、切実な孤独感が歌われている。

父マリーとの確執、レコード会社からのプレッシャーなど様々な悩みを抱えていたブライアンが唯一つ心休まる場所は自宅の音楽室であり、「音楽」こそが自分を表現できる全てだった。 自宅での曲作り中、ブライアンが何気なく弾いたピアノのメロディを聴いていたゲイリーが、「今のフレーズ良いよ!」となって誕生したとか。 滅多に褒めないマリーが「この曲は悪くない」と珍しく評価したそうだ。

同年10月に「ビー・トゥルー・トゥ・ユア・スクール」とのカップリングでシングル・カットされ、B面ながら23位まで上昇した。 ハープはモーリーンの演奏、美しいオーボエが彩りを添える。

93年の『グッド・ヴァイブレーション・ボックス・セット』にはもっとテンポが遅く、ディレイの効いたギターが幻想的な雰囲気を醸し出している初期バージョンを収録。 84年のドキュメント・ビデオ『アン・アメリカン・バンド』には、ストリングのアレンジが施されたこの曲を演奏するシーン(口パク)を見ることが出来る。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Brian


ブライアンが作ったハワイをテーマにしたサーフィン・ソング。リード・ボーカルはブライアン、サビをマイクが担当している。 ブライアンのフォルセットが軽快な、ビーチ・ボーイズらしいアップ・テンポの曲。 パーカッションのブラシが歯切れの良さを強調している。

78年の『M.I.U.アルバム』収録のハワイの観光地を歌った「コナ・コースト」では、この曲のフレーズが登場する。

当時、日本でのみシングル・カットされ、ヒットしている。

作者:B.Wilson (M.Love)

リード:Brian, Mike


ブライアンとマイクが作った傑作サーフィン・ソング。リード・ボーカルはデニス。 「夢のハワイ」同様、軽快なアップ・テンポ・ナンバーで、このアルバムの中でも出色の出来。

エンディングでは当時活躍していたコーラス・グループ、フォーシーズンズへの対抗意識から、「Four Seasons, you better believe it(フォーシーズンズ、それが良いと思ってるのかい)」という挑発的な歌詞と、彼らの大ヒット曲「ウォーク・ライク・ア・マン」のコーラス・フレーズが登場する。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Dennis


車好きの集まるカー・クラブについて歌われる、ブライアンとマイクの共作。

非常に黒っぽいサウンドで、リズミカルなドラムと粘っこいギター、サックスが特徴的な作品。この曲はセッション・ミュージシャンを起用し、フィル・スペクター御用達のゴールド・スター・スタジオで録音された。 サックスはスティーブ・ダグラス、ドラムはハル・ブレインによるもの。 リード・ボーカルはマイク。ホット・ロッド・ソングであるためか、次回作『リトル・デュース・クーペ』にも収録されている。

68年の企画アルバム『スタック・オー・トラックス』ではバッキング・トラックが収録され、この曲の複雑なサウンド・プロダクションを聴く事ができる。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Mike, Brian


さざ波を想わせる繊細なアコースティック・ギター、ブライアンの哀愁漂うボーカルは今にも消え入りそうである。 短い夏の日の一瞬を切り取ったような心に沁みる1曲だ。

「サーファー・ムーン」同様、ブライアンとボブ・ノーバーグの共作。 フィル・スペクターの大ファンだったボブの影響を受けたブライアンは、次第にスペクターの才能を意識するようになる。

この曲の演奏もスタジオ・ミュージシャンによるものである。

作者:B.Wilson - B.Norberg

リード:Brian


ピアノとオルガンが奏でるブギウギ・スタイルのインストゥルメンタル曲。

原曲はクラシックの「The Flight Of The Bumble Bee(熊蜂の飛行)」という曲で、ベンチャーズの「バンプル・ビー・ツイスト」など、様々なアーティストに取り上げられている。

ブライアンは自分のピアノ演奏はアタッカー(コードを叩きつけるような奏法)だと思っているらしく、この曲はそんな演奏の典型である。

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Mike, Brian



ボーナストラック

ドイツ語で歌われているイン・マイ・ルーム。バッキング・トラックは7と同じ。 ドイツ市場を睨みビートルズも「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」のドイツ語版をレコーディングしているが、それに習ってビーチ・ボーイズもドイツ語で録音しているが未発表。

83年の未発表音源集『リアリィティーズ』に初収録。

自分の部屋が唯一の世界であるというブライアンの精神世界を描いたもので、彼の後の音楽人生を暗示しているかの様な、非常に個人的かつ重要な作品である。

作者:B.Wilson - G.Usher

リード:Brian


ファースト・アルバム『サーフィン・サファリ』収録の「カウンティ・フェア」を元にブライアンが改作した曲。 ブライアンのプロデュースで、アメリカ西海岸のコーラス・グループのキャステルズが64年にリリースした。 ここに収録されたのはキャステルズ向けのデモ用として録音されたテイクのようだ。リード・ボーカルはマイクとブライアン。

ビーチ・ボーイズ名義としては未発表だが、サビのベルとコーラスが爽やかな佳曲である。 曲が終わった後に、前曲のドイツ語版イン・マイ・ルームのコーラスが再び登場する。

作者:B.Wilson

リード:Mike, Brian




イン・マイ・ルーム

作曲:ブライアン・ウィルソン、作詞:ゲイリー・アッシャー


いつでも行ける秘密の場所がある
僕の部屋、僕の部屋
悩みや恐れを打ち明けられる場所
僕の部屋、僕の部屋

夢や将来を考えると
目を覚まして祈ってしまう
涙を流し溜め息をついて
昨日を笑い飛ばすんだ

今は暗く孤独だけれど
恐れちゃいけない
僕の部屋、僕の部屋
僕の部屋、僕の部屋

対訳:管理人




こぼれ話

70年代の作品からビーチ・ボーイズを好きになった小生にとって、60年代の(特に初期の)曲を軽く見ていたと思う。ドラムやギターの音色はチープに聴こえたし、コーラスも古臭く思えたから。

そんな偏見を最初に覆したアルバムが本作だった。「イン・マイ・ルーム」はベスト盤『終わりなき夏』で知ってる曲だったが、このアルバムで聴くと格別の趣がある。ビートルズのアルバムに匹敵する完成度だとも思った。

もったいないのは不要と思える2曲のインスト。これが無かったら・・。





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