リトル・デュース・クーペ
Little Deuce Coupe
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63年10月にリリースされたビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバム。
「ビー・トゥルー・トゥ・ユア・スクール」を含む粒揃いのカー・ソング集。
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プロデュース:ブライアン・ウィルソン
Capitol Revel 1963.10.21
曲目リスト
ヒストリー
1963年はアルバム『サーフィン・U.S.A.』が全米2位の大ヒットを記録、『サーファー・ガール』は全米7位、続く『リトル・デュース・クーペ』は全米4位まで上昇。ビーチ・ボーイズの人気が本物であることが証明されつつあった。
当時若者たちに人気のあった地元のコーヒー・ハウス“パンドラス・ボックス”では連日ビーチ・ボーイズのライブを見るために長蛇の列が出来ていたという。 ブライアンはそのクラブでダイアンとマリリンのローヴェル姉妹、姉妹の従姉妹であるジンジャー・ブレイクと出会う。 その後3人はブライアンのプロデュースによりハニーズとしてレコード・デビューする事になるのだ。
一方、グループの人気を更に上げるためにマネージャーのマリーは「私はブライアンのパパを知っています」とプリントされた丸いバッジを大量に作り、ビーチ・ボーイズを売り込む作戦に出た。
年末にはクリスマス用のシングル「リトル・セイント・ニック」がクリスマス・チャート3位の大ヒット。 この年はビーチ・ボーイズ怒涛の1年であった。
アルバム解説
キャピトルは1963年の夏に『シャット・ダウン』という車をテーマにしたオムニバス・アルバムをリリースしているが、レコード会社からの執拗な新譜要求に応えるためにブライアンもこの路線に便乗。 前作『サーファー・ガール』から僅か1ヶ月後の63年10月21日にリリースされたこのアルバムは、カー・ソング集的な企画アルバムの性格が強い。 過去のホット・ロッド・ソング4曲を流用し、新曲8曲も僅か1日でレコーディングされている。
いかにも急場しのぎで制作されたという印象であるが、アルバムの出来は『サーファー・ガール』に匹敵する素晴らしいものだ。 どの曲も粒揃いの個性的な仕上がり、テーマが車という事でアルバム全体に統一感もある。 前作から復帰したアル・ジャーディンの存在も見逃せない。コーラスに厚みが加わり、サウンドに鮮やかな彩りを与えることになった。
全12曲中、ロジャー・クリスチャンとの共作が7曲もあり、ブライアンのパートナーがゲイリー・アッシャーからロジャーに移ったことを物語っている。 これはブライアンの父、当時のグループのマネージャーであったマリー・ウィルソンが、ゲイリーをブライアンから遠ざけようとしていたことと無縁ではない(何故かマリーは最初からゲイリーの事を「ふしだらなハリウッド族」だと決め込んでいた)。
アルバムジャケットはタイトル曲に因んで32年型のフォードモデルの写真と“32”をフィーチャーしたもの。 ビーチ・ボーイズのジャケットには見えないが、これはこれでかっこいい。
尚、本作はデビューアルバムからのメンバーであったデヴィッド・マークスが参加した最後のアルバムとなった(デヴィッドをクビにしたがっていたマリーに焚き付けられ、デヴィッド自らがグループを辞めると宣言したという)。
シングル「サーファー・ガール」のB面ながら全米第15位まで上昇した、初期ホット・ロッド・ナンバーの傑作曲。
32年型のフォード、通称“デュース・クーペ”を愛しい恋人に例えた歌詞はロジャー・クリスチャンによるもので、この作品がロジャーとの初めての共作曲であった。 最初にロジャーがブライアンに詩を提供し、翌日にブライアンがメロディーを書いて出来上がったという。 リード・ボーカルはマイク。
2001年に発表された未発表音源集『ホーソーン,カリフォルニア』には、ブライアンが歌うもっとスローでブルージーな初期バージョンを聴くことが出来る。 アナログLP時代の邦題は「いかしたクーペ」。
前のアルバムにも収録されていたが、本作では堂々アルバムのタイトル・チューンとなっている。
オープニングからブライアンのフォルセット・ボイスが感動的な傑作バラード。 シンプルであるがしっとりとしたバック・コーラスが心地いい。
ブライアンとロジャー・クリスチャンの共作で、32年製の車への愛情が歌われている、このアルバムのハイライト的作品。 美しいアカペラで終了するエンディングも聴き所だ。
ブライアンが通っていたホーソーン高校の応援歌をモチーフにしたブライアンとマイクによる学園賛歌。 導入部にドラムのタムとサックスの伴奏に合わせた前奏曲を配したモダンなつくり。 サビのメロディはちょっと胸が熱くなるような甘酸っぱさがある。マイクのリード・ボーカルはダブル・トラック。
シングルとしてもリリースされているがそれとは別のアレンジで、ビーチ・ボーイズのメンバーが演奏している。 個人的にはシングル・バージョンよりこちらのアルバム収録バージョンの方が素晴らしい出来栄えだと思っている。
尚、このアルバム中、唯一車とは無関係の歌である。
ブライアンとロジャーの共作であるが、ボブ・ノーバーグが結成したサヴァイヴァーズにブライアンが提供した「パメラ・ジーン」のメロディを流用している(「パメラ・ジーン」は翌年の1月にサヴァイヴァーズ名義でリリースされるがまったくヒットしなかった)。
リード・ボーカルはブライアン。息の合ったコーラス、充実した演奏を聴かせる。
ブライアンとロジャーの共作。『サーフィン・サファリ』の未発表曲「ランド・アホイ」のメロディにホット・ロッドの歌詞をつけたもの。
コーラスが素晴らしいが、特にマイクの低音が効果的である。リード・ボーカルはマイク。
ホット・ロッド・ナンバーということでファースト・アルバム『サーフィン・サファリ』から流用。
若者に人気のあったスポーツ・カーのシヴォレー409の事を歌った曲。 歌詞は車が大好きなゲイリー・アッシャーによるもの。 いわゆる「ホット・ロッド」といわれるカスタムカーをテーマにした曲であるが、ブライアンはその後も数多くのホット・ロッド・ソングを手がけることになる。 随所に聴こえる車のエンジン音はゲイリーの愛車シヴォレー348のもので、夜中にブライアンの自宅で録られたそうだ。
シングル「サーフィン・サファリ」のB面としてもリリースされたが元々はこちらがA面であった。
この曲はモーガン夫妻が販売権を所有していたが、「サーフィン・サファリ」と同様、マリーにより無断で再録音されている(他に「サーファー・ムーン」「ジュディ」も録音された)。
このアルバム中、唯一ブライアンとゲイリー・アッシャーの共作。
この曲も流用曲。アルバム『サーフィン・U.S.A.』より。
ブライアンが作ったメロディに、当時ロスのラジオ局KFWBのDJだったロジャー・クリスチャンが歌詞を付けた曲。 シヴォレー413とスティングレイのホット・ロッド・レースについて歌ったもので、ロジャーは大の車好きであった。ロジャーとはゲイリーを通じての知り合いで、その巧みな話術と車の知識にすっかり魅了されたブライアンは、この後も数多くの作品で共作する。 一説によると、ロジャーをブライアンに引き合わせたのはゲイリーを追い出したいと考えていたマリーとも言われている。
間奏のガサツなサックスはマイクによるもの。 シングル「サーフィン・U.S.A.」のB面ながら23位のヒットを記録した。
ブライアンとロジャーの共作による名曲。
スピリット・オブ・アメリカとは、クレイグ・ブリードラブが作ったターボジェットエンジンを搭載した自動車の愛称で、63年9月5日に世界で初めて407マイル毎時(約650 km/h)を超える記録を達成した。 歌詞はクレイグの偉業を称えた内容で、ブライアンのフォルセットが美しい。バック・コーラスとサックスがムーディーな作品に仕上げている。
75年4月に発売されたベスト・アルバム『スピリット・オブ・アメリカ』のタイトル曲としてフューチャーされた。
車好きの集まるカー・クラブについて歌われる、ブライアンとマイクの共作。
非常に黒っぽいサウンドで、リズミカルなドラムと粘っこいギター、サックスが特徴的な作品。この曲はセッション・ミュージシャンを起用し、フィル・スペクター御用達のゴールド・スター・スタジオで録音された。 サックスはスティーブ・ダグラス、ドラムはハル・ブレインによるもの。 リード・ボーカルはマイク。ホット・ロッド・ソングであるためか、前作『サーファー・ガール』アルバムからの流用曲。
68年の企画アルバム『スタック・オー・トラックス』ではバッキング・トラックが収録され、この曲の複雑なサウンド・プロダクションを聴く事ができる。いきなりブライアンのフォルセットで始まるハイテンションな作品で、ブライアンとロジャーの共作。 目立ちたがり屋のカスタム・カーについての歌詞は、サヴァイヴァーズのリック・アラリアンが手伝ったとも言われている。
転調するサビにブライアンの才能が感じられる隠れた名曲。
ブライアンが敬愛するジャズ・コーラス・グループのフォー・フレッシュメンの作品「ゼア・ハーツ・ホエア・フル・オブ・スプリング(心には春がいっぱい)」が原曲の美しいアカペラ。
書き換えられた歌詞は、55年9月に自動車事故で他界した俳優ジェームズ・ディーンについてマイクが書いたもの。 グループのお気に入りで、コンサートでもしばしば取り上げられている。
冒頭からサビで始まるブライアンとマイクの共作曲。
ビーチ・ボーイズらしいアップ・テンポの曲であるが、ハーモニーに工夫が見られる。ブルース・ジョンストンとテリー・メルチャーのデュオ「ブルース&テリー」がこの曲をカバーしている。
ボーナストラック
アルバム『リトル・デュース・クーペ』発売1週間前の10月14日に先行リリースされた6枚目のシングル(キャピトル・レコードでは5枚目)。 全米6位まで上昇するヒットを記録。B面は「イン・マイ・ルーム」。
アルバム・バージョンとは別録音で、ハニーズによるチアリーディングや鼓笛隊の演奏が導入されている。 ハニーズは3人組女性ボーカル・グループで、後にブライアンの妻となるマリリン・ローヴェルがメンバーの一人であった。
間奏のメロディは、ブライアンの母校であるホーソーン高校の応援歌「オン・ウィスコンシン」が使われている。
リトル・デュース・クーペ
作曲:ブライアン・ウィルソン、作詞:ロジャー・クリスチャン
リトル・デュース・クーペ
知らないか、最高だぜ
リトル・デュース・クーペ
とにかく最高なんだぜ
自慢じゃないけど、ベイビー
馬鹿にしちゃいけない
町で最速の車なんだ
誰も勝負しようとは思わない
翼をつけたら飛び立つほどさ
それが俺のリトル・デュース・クーペ
最高の車なんだぜ
フラットヘッドの小型車だけど
こいつにかかればサンダーバードなんか
まるで止まってるみたいに
一瞬で抜いてしまう
4気筒エンジン
思いっきり踏み込めば
140マイルは出るんだぜ
それが俺のリトル・デュース・クーペ
最高の車なんだぜ
コンペティション・クラッチに
4速シフト
走り始めは子猫のようだが
それもリード・パイプが唸りを上げるまでのこと
それでも満足しないんだったら
もう一つ教えてあげよう
おかげで免停さ、なぁ
信号が青に変わったら
一気にぶっ飛ばすんだ
見たこともないくらい
ぶっちぎりさ
でもこいつを乗りこなすには
苦労するぜ
4速ギアがタイヤを噛むんだ
それが俺のリトル・デュース・クーペ
とにかく最高の車なんだぜ
対訳:管理人
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