L.A.(ライト・アルバム)
L.A. (Light Album)


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79年3月にカリブー・レーベルからリリースされたビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバム。
名曲「レディ・リンダ」、「グッド・タイミン」収録。



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プロデュース:ブルース・ジョンストン、ビーチ・ボーイズ、ジェームズ・ガルシオ

Calibou Revel 1979.3.19


ヒストリー

1978年、「M.I.U.アルバム」レコーディング後、スタンリー・ラヴ、ロッキー・パンプリン、スティーブ・コーソフの3人の筋肉男による24時間監視の中、ブライアンの精神状態は悪化の一途を辿っていた。 冷蔵庫には南京錠が掛けられ、アルコールや薬物を制限された生活であったが、ブライアンは監視の目をかい潜りタバコやコカインを入手していた。 バスローブに裸足という姿でよく1人近所をうろついていた彼は、免許も財布も持たずに家を抜け出し見ず知らずの人とサンディ・エゴに行った事もあった。 その時は泥酔して排水溝にうつ伏せの状態で発見され、アルバラド・コミュニティ病院に6週間入院する事になる。

78年12月にはついにカリフォルニア州カルバーシティにあるブロットマン・メディカル・センターの精神科病棟に入院してしまい、翌年1月23日にはマリリンと離婚、14年間の結婚生活に終止符を打つことになった。

前アルバムではブライアンの頑張りが見られたが、彼の精神的・肉体的な不調によりマイアミのクライテリア・スタジオで行われた新アルバムのレコーディングは難航を極め、新しいレコード会社のCBSからは発売を拒否されてしまう。 この緊急事態に急遽ブルース・ジョンストンが呼び戻され、元シカゴのプロデューサーであったジェームズ・ガルシオとの共同プロデュースにより何とか『L.A.(ライト・アルバム)』がリリースされた。 しかし、アルバム・チャートは最高でも100位。ブルースもグループを救う事が出来なかった。

初のソロ・アルバムが高評価だったデニスは2作目のソロ・アルバム『バンブー』を制作していたが、リリースは見送られてしまう。 カレン・ラムとの結婚生活は喧嘩が絶えず、ステージ上でマイクに暴言を吐いた事で1年間グループから除名されてしまうのであった。 カレンとは80年6月に離婚、彼はさらにアルコールとドラッグにのめり込んでしまう。デニスは危機を迎えていた。


アルバム解説

1979年3月19日にカリブー・レーベルからのファースト・アルバムとして発表されたアルバム。

アルバム全体の出来はいま一つで、創作活動においてブライアン不在のビーチ・ボーイズがいかに貧弱であるかを露呈する結果となった。 とはいえ、屈指の名曲「レディ・リンダ」の他、何曲かの傑作が含まれていて、個人的には結構好きなアルバムである。 しかし、ディスコ風にアレンジされた10分以上の「ヒア・カムズ・ザ・ナイト」の存在が、本作を台無しにしてしまったと思う。

アルバム・ジャケットは収録曲をモチーフにしたポストカードを配置したもので、数あるダサいジャケットの中でも1、2を争うもの。 「想い出のスマハマ」や「エンジェル・カム・ホーム」などのイラストはセンスを疑ってしまう(汗)。 「レディ・リンダ」の絵葉書は何を意図したものなのか?! 内容とは無関係な安っぽいタイトルも相変わらずと言ったところか。

なお、本作はデニス・ウィルソンの作品が収録された最後のアルバムである。彼の私生活は更に荒れ果てていく。

小生の好き度

★ ★ ★ ★ ★

ブライアンとカールが作った、アルバム中最もビーチ・ボーイズらしいオープン・ハーモニーが美しいスロー・バラード。 カールの艶やかなリードボーカルが素晴らしく、男女の愛というより、普遍的な愛や人生について前向きに歌われている佳曲である。

79年4月16日に「ラヴ・サラウンズ・ミー」とのカップリングでシングル・カットされ、全米40位を記録。この曲はもともと74年頃に録音されていたもので、63年の名曲「サーファー・ガール」に似たフレーズも登場する。

80年代のコンサートでは度々取り上げられ、サビのフレーズを無表情のブライアンが繰り返すステージのシーンは印象的だった。

作者:B.Wilson - C.Wilson

リード:Carl


オープニングとエンディングにJ.S.バッハの「主よ人の望みの喜びよ」の主題を取り入れた、アル・ジャーディンが妻のリンダに捧げたアップテンポなバラード。 ストリングスが奏でる洗練されたバッキングも美しく、この切ないメロディは彼の最高傑作曲であろう。 溌剌としたアルのリード・ボーカルとバック・ハーモニーは見事、後半には2人を祝福するかのような鐘の音がこのモダンで活力のあるラヴ・ソングを盛り上げている。 共作者のロン・アルトバックは前作『M.I.U.アルバム』の共同プロデューサー。この曲は77年の同アルバムのセッションでレコーディングされていたものだった。

79年6月に「フル・セイル」とのカップリングでシングル・カットされたがチャート・インせず、しかしイギリスでは7位まで上昇する大ヒットを記録した。

作者:A.Jardine - R.Altbach

リード:Alan


カールが作った彼らしいAOR風スロー・バラード。共作者のジェフリー・カッシング・マレイは新人ソング・ライター。フェンダー・ローズ・ピアノの幻想的なサウンドが印象的である。

気持ちよさそうに歌うリード・ボーカルはカール。風を吹くのを待っている帆船の歌で、当時のビーチ・ボーイズの情況と未来への期待が込められているのだと思う。果たして再びグループに風は吹くのだろうか?

作者:C.Wilson - G.C.Murray

リード:Carl


前曲と同じくカールとジェフリー・カッシング・マレイの共作。別れた彼女への想いを熱く語る内容は、妻アニーとの破局を嘆いたものかも知れない。

この曲の持つ力強さを十分に引き出しているリード・ボーカルはデニス、ダイナミックなストリングズと共に作品を佳曲に仕上げている。

作者:C.Wilson - G.C.Murray

リード:Dennis


デニスとジェフリー・カッシング・マレイが作った骨太の失恋ソング。 後悔と楽しかった思い出を懐かしむかのような歌詞は、デニスと同じ位エネルギー溢れるカレン・ラムとの波乱に満ちた結婚生活を歌ったような内容だ。 もともと彼の2作目のソロ・アルバム用にレコーディングされていたもので、哀愁ただようスライド・ギターが渋い。乾いたドラムの音が生々しく、この曲にマッチしている。

エンディングのフォルセット・ボイスは、当時デニスが付き合っていたクリスティン・マクヴィーによるもの。デニスはカレンと離婚した後、更にクリスティンに依存していくことになる。

作者:D.Wilson - G.Cushing-Murray

リード:Dennis


マイクが作った日本の砂浜や紅葉などを題材にしたラヴ・ソング。リード・ボーカルもマイクで、後半に飛び出す日本語はたどたどしさがあるものの大健闘といえるだろう。 イントロや間奏のストリングスなど中国的なニュアンスもあり、外国人が抱いている間違った日本のイメージが出ているが、出来はそれ程悪くない。優しいメロディ・ラインはいかにもマイク・ラヴらしいものだ。 歌詞の“スマハマ”とは砂浜の誤訳か、歌詞を書いたスマ子さんの名前から取られたものか憶測を生んだが、真相は神戸の須磨海岸の事らしい。 マイクはその後も「サムホエア・ニア・ジャパン」という日本についての曲を書いており、親日家ぶりを発揮している。

79年9月に、映画『アメリカソン』の挿入曲、「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」のB面としてシングル・カットされた。

作者:M.Love

リード:Mike


67年の『ワイルド・ハニー』収録のダンス・ミュージックを当時ブームだったディスコ・ミュージック風にアレンジしたもの。アレンジはブルース・ジョンストンとブライアンとの親交がある奇才、カート・ベッチャー。 リード・ボーカルはカール。 テクノ・チックな作風は空回り、12分に及ぶ演奏は退屈で、当時のファンは激怒した。この場違いなレコーディングにブライアンとデニスは参加していない。

小生としてはビーチ・ボーイズらしいオープン・ハーモニーで勝負してほしかった、と思う。どっちみに彼らにディスコは合わないか・・

作者:B.Wilson - M.Love

リード:Carl


デニスと妻のカレン・ラム、グレッグ・ヤコブソン3人の共作曲。

デニスの2作目となるはずだった幻のソロ・アルバム『バンブー』のセッションでレコーディングされた曲で、カレンへの想いをストレートに歌った素晴らしいスロー・バラードに仕上がっている。 後半に登場するホーンとドラムは、69年の「ビー・ウィズ・ミー」を彷彿させるデニスらしい重厚なものである。このスケールの大きな作風は彼の天性の持ち味だった。 フォルセットで歌われるリード・ボーカルはカール、ハスキーなリードはデニス。次回作『キーピン・ザ・サマー』では楽曲提供が無いため、事実上デニスの最後の作品となった。

デビュー・アルバムの彼の初ボーカル曲「リトル・ガール(ユア・マイ・ミス・アメリカ)」で“青い瞳の女の子”が歌われるが、皮肉な事に最後の作品も“青い瞳の女の子”だった。

2022年のデビュー60周年記念版『ザ・ベリー・ベスト・オブ・ザ・ビーチ・ボーイズ:サウンド・オブ・サマー』のデラックスエディションで新ミックスを聴くことができる。

作者:D.Wilson - G.Jacobson - K.Lamm

リード:Carl, Dennis


カール・ウィルソンとジェフリー・カッシング・マレイが作ったAOR調スロー・バラード。

リード・ボーカルはカールで、寒い冬にフロリダやメキシコなどの暖かな場所へ想いを馳せる内容をしっとりと歌う。

作者:C.Wilson - G.C.Murray

リード:Carl


アメリカの童謡を73年頃にブライアンがロックン・ロール調にアレンジした曲。収録に当たってブルース・ジョンストンとカート・ベッチャーが仕上げたという。

リード・ボーカルはデニスとカール。カールの歌い方はかなり力んだもの。

作者:Tra:B.Wilson

リード:Dennis, Carl




20/20

裏ジャケット。ベイビー・ブルーの女の子の顔が怖い;



レディ・リンダ

作曲・作詞:アル・ジャーディン/ロン・アルトバック


レディ・リンダ、ここに来て一緒に横になろうよ
緑の谷間の牧草地に横たわろう
そして小鳥が歌う春の声を聴いてみよう
レディ・リンダと一緒に居られるのなら
愛について語りあえるのに
2人で横たわりながら

リンダ、いっそ僕ら近づけないって言ってほしい
つらい時間を過ごすことも否定できない
ダーリン、困難が僕らを引き寄せるんだ
僕の眼を見てよ、ああ

リンダ、僕が君の彼氏だと言ってほしい
驚いちゃいけない、決まってることなんだから
でもダーリン、困難が僕らを引き寄せるんだ
一緒に横になろうよ

さあ、横たわろうレディ

僕と一緒になってほしいんだ、レディ・リンダ
愛について語り合おうよ
2人で横たわりながら

一緒に横になろうよ、この僕と
僕について来てほしい
そして歌っておくれ、愛の歌を
僕について来てほしい
僕の歌を歌っておくれ、愛する君
僕について来てほしい
僕の歌を歌っておくれ、愛する君
僕について来てほしい
そして歌っておくれ
結婚してほしいんだ

対訳:管理人




思い出

19歳の頃、ビーチ・ボーイズをカー・ステで聴きながらドライブするのが休日の楽しみであった。

当時、新潟伊勢丹の蕎麦屋に勤めていた小生は、休みが一緒という理由で同じ館内のお肉屋さんで働いていた高校の同級生“コイズミ君”としょっちゅう遊んでいた。

しばらくするとコイズミ君がこのアルバム収録曲の「レディ・リンダ」をえらく気に入り、テープにダビングしてあげたのを憶えている。 小生渾身の選曲で「ビーチ・ボーイズ・ベスト」を作ったが、「1曲目と最後はこの曲にしてくれよな」というのがコイズミ君の譲れない要望であった。

もう何十年も会っていないけど、コイズミ君、元気かなー。





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