プリーズ・プリーズ・ミー
Please Please Me

(アルバム)


HOME  ビートルズ TOP  戻る
前の作品  次の作品

記念すべきビートルズの英国デビュー・アルバム。荒々しさと新鮮さが同居!

Please Please Me 次のアルバム

プロデュース:ジョージ・マーティン

Parlophone Revel 1963.3.22


ヒストリー

イギリスのイングランド北西部の港町リヴァプールでの出来事。

1957年3月、当時16歳のジョン・レノンを中心にスキッフル・バンド「クォリーメン」が結成される。 ジョンは同年7月にウールトンのセント・ピーターズ教会で行われたバンドのコンサートで2歳年下のポール・マッカートニーと出会い、2人は意気投合する。 その後、ポールの親友ジョージ・ハリスンとジョンの親友スチュワート・サトクリフが加入し、60年に「シルヴァー・ビートルズ」と改名する。 このバンド名「ビートルズ」(Beatles)は、カブトムシ(Beetle)と音楽のビート(Beat)を掛けたジョンとスチュワートが考えた造語である。 ドラマーにピート・ベストを配してハンブルグや地元のクラブで演奏活動を行っていたが、ジョージが18歳未満であったためドイツから強制送還となり、一時バンド活動を休止する。

スチュアートはハンブルグで知り合ったアストリッド・キルヒャーと結婚しそのままドイツに残りグループを脱退。ビートルズは61年から地元のキャバーン・クラブを中心にライブ活動を再開するが、12月にバンドの噂を聞いた近所のレコード店責任者ブライアン・エプスタインはその才能を見抜き、バンドのマネージャーを買って出る。

エプスタインの必死の売り込みにより、62年8月にプロデューサーのジョージ・マーティンに見出され、パーロフォン・レーベルとの契約に成功。 契約の際、ドラムの演奏力に不安を持ったマーティンの意向でピートは解雇となり、代わりにクラブのバンド仲間であったリンゴ・スターが加入する事となった。 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人組、不世出のロックグループ「ザ・ビートルズ」の誕生である。


アルバム解説

2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」の大ヒットを受け、ジョージ・マーティンのプロデュースにより急遽制作されたビートルズの英国における記念すべきファースト・アルバム。1963年3月22日のリリース。

既発シングルを除く10曲は僅か1日でレコーディングされ、ライブ感を出す為に殆どの曲はオーバーダビングなしの1発録りとなった。 14曲中オリジナル作品が8曲という構成は当時の無名新人グループのデビュー作としては異例。 曲想もロックンロールからラヴソングと幅広く、内容もバラエティに富んだもの。 カバー曲よりもオリジナル曲の方が個性的かつ魅力溢れる楽曲が多く、並の新人とは違う風格を早くも見せた作品といえる。

「PLEASE PLEASE ME With Love Me Do and 12 other songs」と表記されたアルバムジャケットは、アンガス・マクビーンがEMI本社で撮影したショット。 吹き抜けの螺旋階段に4人が並ぶもので、別ショットが解散後のベストアルバム『ザ・ビートルズ1962~1966』(通称“赤盤”)のジャケット写真に使用された。 又、この写真が撮影された7年後の1970年にはアルバム『ゲット・バック』用にこのデビューアルバムのジャケット写真と同アングルで撮影されているが、結局『ゲット・バック』は未発表となり、73年のベストアルバム『ザ・ビートルズ1967~1970』(通称“青盤”)のジャケット写真に使用されている。

小生の好き度

★ ★ ★ ★ ★

1、2、3、4というポールのカウントを合図にギターとベースが軽快なリズムを刻むストレートなロックナンバー。

まるでロックのスタンダード・ナンバーのような風格を持ったポールの作品。リードボーカルも彼。サビではジョンと息の合ったハーモニーを披露する。 間奏のリバーブが効いたリード・ギターはジョージ。ポールのベース、リンゴのドラム、ジョンのリズム・ギターが激しいビートを奏でる。 初期オリジナル作品の中でも特に荒々しさが際立っている傑作曲である。

アメリカでは「抱きしめたい」とのカップリングでシングル・カットされ、全米チャート14位まで上昇した。

『ザ・ビートルズ1962-1966』通称“赤盤”の2023エディションに中央にボーカルとドラム・ベース、ジョージとジョンのギターが左右に振り分けられた迫力ある最新ミックスを聴くことができる。2024/3追記

作者:P.McCartney - J.Lennon

リード:Paul


デビュー当時、一緒にツアーを回っていた女性歌手のヘレン・シャピロのために作った曲であるが、「詞が暗い」という理由でヘレンから拒否された曲。

ジョンとポールの共作で、オープニングのジャララララ~ンというアルペジオのギターと間奏のピアノがとても印象的なミディアム・テンポのラヴ・ソング。2人の息の合ったボーカルはユニゾンで歌われていて、若さがみなぎっている。 とても明るい曲調であるが、惨めな自分の疎外感を歌った歌詞はヘレンが断るのもうなずける。

3枚目のシングル曲「フロム・ミー・トゥ・ユー」と類似した曲調である点に注目。

作者:P.McCartney - J.Lennon

リード:John,Paul


オープニングから切れのあるリンゴのかっこいいドラム、ジョージのギターリフが印象的なこの曲は「You Better Move On」のヒットを持つアメリカの黒人ソウル歌手アーサー・アレキサンダーが62年9月に発表した作品。 レコーディング当日風邪をひいていたジョンであるが、この鼻声のリードボーカルが何とも魅力的である。 コーラスはポールとジョージ。それにしてもサビにおけるジョンの熱唱は素晴らしいの一言に尽きる。

この曲はジョンお気に入りであったが、ビートルズはこの曲以外にも「ソルジャー・オブ・ラヴ」「ア・ショット・オブ・リズム・アンド・ブルース」などアレキサンダー作品をレパートリーにしていた。

作者:A.Alexander

リード:John


アメリカを代表する夫婦のソングライターコンビ、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングが作った作品で、60年代初期にディメンションレコードで活躍していたアメリカ黒人女性グループのクッキーズが62年11月に発表している曲。

リードボーカルはジョージ、コーラスはジョンとポール。 オープニングのハーモニカや力強いコーラスなど、ビートルズのスタイルにぴったり合った軽快な曲調である。

作者:G.Goffin - C.King

リード:George


オリジナルはアメリカ黒人女性グループのシュレルズが60年11月に発表した「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」のB面曲。ルーサー・ディキスンとウェス・ファレルの合作。

リードボーカルはリンゴ。ハイテンションなバック・コーラスはジョン、ジョージ、ポールの3人で、特に最高音のポールが盛り上げている。 デビュー当時のコンサートではリンゴのメイン曲として演奏されていた。 それにしてもB面の曲をカバーする辺り、何とも渋い選曲である。

作者:L.Dixon - W.Farrell

リード:Ringo


2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」のB面に収録されたジョンが作った胸きゅんなラヴソング。

ハンブルグ時代から演奏されていた曲で、アメリカ黒人女性グループの影響を受けたとてもキュートな作風だ。この曲も初期の隠れた名曲といえる。 サビの切ない感じが何とも言えない魅力を放つリードボーカルはジョン、コーラスはポールとジョージ。 軽快なリズムを刻むリンゴのドラムが心地いい。ドラムの演奏力を危惧していたマーティンの不安を一掃させたのではないか。

作者:P.McCartney - J.Lennon

リード:John


63年1月11日に発表された英国におけるビートルズの2枚目のシングル曲。全英チャートは2位ながら、メロディー・メイカー誌では初の第1位を獲得し、イギリスにおけるビートルズ人気を決定付けた。 リードボーカルはジョンとポールのハーモニー、一部ジョージがコーラスをつけている。 オープニングから繰り出される印象的なハーモニカはジョン。

当初プロデューサーのジョージ・マーティンは、デビューシングル用に用意していたプロの作曲家が作った「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」を「ラヴ・ミー・ドゥ」の次回作に予定していた。 しかしシングル曲はオリジナルで勝負したい、というメンバーの強いこだわりから、ジョンが作ったこの曲の試行錯誤が始まった。 最初はロイ・オービソンの「オンリー・ザ・ロンリー」のようなスロー・ナンバーであったが、プロデューサーのマーティンの助言によりアップテンポに作り直して完成させている。

まるでサビのような出だしのメロディが特徴で、これまでのポップスには無い斬新な響きを持っている。 この曲のレコーディングが終了した際、「おめでとう!初のナンバー・ワン・ヒット間違いなしだ」と言ったマーティンの話は有名。 全英2位の大ヒットを受け、急遽アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』の制作が決定した。ビートルズ栄光の歴史はこの作品から始まったといってもいいだろう。

因みに当時のレコード業界はモノラルが主流で、マーティンとビートルズたちもモノ・ミックスに力を注いでいた。 そのため、ステレオ・ミックスはしばしば適当に作られる事もあり、この曲のステレオ版もジョンが3番の歌詞を間違って吹き出しそうになったり、ジョージがギター・フレーズを2音間違えたりしている。でも小生はずっと聴いてきたステレオ版の方に愛着を感じます。

蛇足であるが、80年代にロッテのブラックガムのCMでこの曲が印象的に使われていたのを思い出す(このCMはビジュアルでも『ウィズ・ザ・ビートルズ』のアルバム・ジャケットをパロディにしている徹底ぶりだった)。

作者:P.McCartney - J.Lennon

リード:John,Paul


62年10月5日にリリースされたビートルズの記念すべきデビュー曲。 ポールの作品でイギリスでは17位まで上昇した。地元リバプールで売上げが伸びたことからマネージャーのブライアン・エプスタインが買い占めたためと噂されたそうだ。

ジョンのハーモニカがリードを取る、ちょっとブルージーな作風。よく聴いてみると曲調もかなりファンキーである。 リードボーカルはポールとジョンのハーモニー、サビでは「Love Me Do... Oh Love Me Do」とちょっと緊張気味でポールが歌う。 ドラムはセッションドラマーのアンディ・ホワイト、リンゴはタンバリンを叩いている(1週間前のセッションではリンゴがドラムを担当し、そちらのバージョンはシングル盤に採用された)。

最初、無名グループのデビュー・シングルという事で、「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」というプロの作曲家が作った曲が用意されていて録音もされたが、どうしても自作で出したいというメンバーの意向から、当時の持ち歌の中で最も出来が良かったこの曲が選ばれた。 新人のデビュー曲にオリジナル作品を選曲する事は当時としては異例であったが、ビートルズはその後も全てのシングルをオリジナル作品で貫くことになる。 アメリカ進出後の64年5月には全米チャート1位を獲得している。

『ビートルズ・アンソロジー1』にピート・ベストがドラムを叩いているテイクを聴く事が出来るが、ジョージ・マーティンが不安に思うのもうなずける。

作者:J.Lennon - P.McCartney

リード:Paul,John


デビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」とカップリングされたポールの作品。B面ながらこちらも素晴らしい出来である。アメリカではヒットチャートで10位まで上昇している。 リードボーカルはポール、コーラスはジョンとジョージ。 ラテン調の情緒あるラヴソングで、ハーモニーやコード進行などポールの非凡な才能が感じられる佳曲である。

プロデューサーのジョージ・マーティンは、レコーディングにおいてサウンドの要であるドラムスを最重要視していた。まだリンゴをよく知らなかったため、この曲のドラムはセッションドラマーのアンディ・ホワイトが叩いている。リンゴはマラカスを担当。この件について後にマーティンはリンゴに謝罪している。

この曲と「ラヴ・ミー・ドゥ」は、オリジナル・マスター・テープが破棄されているため、モノ・ミックスしか存在しない。

作者:J.Lennon - P.McCartney

リード:Paul


オリジナルは「ボーイズ」と同じシュレルズが61年12月に発表した全米8位のヒット曲。作者はマック・デイヴィッド、バーニー・ウィリアムス、それとあのバート・バカラック。

リードボーカルはジョン。「シャララララララ~ア」が印象的なコーラスはポールとジョージが担当。 スローでメロディアスな曲調にジョンのシャウトが響く、力強いラヴソングに仕上がっている。 間奏ではギターとユニゾンで奏でられるチェレスタが彩りを添える。

94年に『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』が発表された際、この曲のラジオ音源がアメリカでシングル・カット(4曲入りのマキシシングル)されている。

作者:M.David - B.Willlams - B.Bacharch

リード:John


ジョンがディズニー映画『白雪姫』の歌「I'm Wishing」の歌詞にインスパイアされて作ったラテン調の曲。 リードボーカルはジョージ、コーラスはジョンとポール。

アメリカでは64年に「サンキュー・ガール」とのカップリングでシングル・カットされ、全米2位まで上がる大ヒットを記録した。 また、この曲はイギリスの歌手ビリー・J・クレイマーのデビュー曲(63年4月)としても提供され、全英2位を記録している(因みにB面は「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」というポールが書いた曲)。

作者:P.McCartney - J.Lennon

リード:George


レニー・ウェルチのスタンダート・ナンバーをポールが歌っている。 デビュー前に地元やハンブルグのライブでも演奏されていた当時からグループのレパートリーであった。 作者はリック・マーロウとボビー・スコットの合作で、トニー・リチャードソンが61年に監督したイギリス映画の同名主題歌としてレコード化している。 サビのポールのリードボーカルとエンディングのジョンのコーラスはこのアルバムで唯一のダブルトラック録音。

ポールはこの曲や同系統曲「ベサメ・ムーチョ」などのボードビル風な曲調を好む傾向があり、当時も「P.S.アイ・ラヴ・ユー」や「ホエン・アイム・シックスティーフォー」などロック・グループらしからぬ作品を書いている。

この特徴は後のビートルズの多様な音楽性を支える非常に重要な点と言えよう。

作者:B.Scott - R.Marlow

リード:Paul


ジョンとポールの絶妙なコーラスが素晴らしい傑作曲。2人の共作となっているが、恐らくジョンが中心で作った作品でしょう(憶測;)。

2人のボーカルの力強さは感動的で、ここでもジョンのハーモニカがリード楽器となっている。 このリズム、サウンドはこれまでのポップスには無い斬新な響きを持っていると思う。 出だしの1音が「プリーズ・プリーズ・ミー」とそっくり、曲調もけっこう似ている。

アメリカでは独自にレコード会社が編集したアルバムが販売されており、この曲と「ミズリー」はアメリカのアルバムでは未収録であった。 小生もアメリカ編集アルバムから聴き始めたので、アメリカにおけるレア音源集『レアリティーズ Vol.2』で初めてこの素晴らしい曲に接する事が出来たのであった。

作者:P.McCartney - J.Lennon

リード:John,Paul


ビートルス初期コンサートにおけるエンディング曲。ジョンの喉への負担を考慮して、このアルバムのセッションでは最後にレコーディングされている。 録音は僅か2テイクで決めたのだが、もうジョンの喉が限界だったらしい。

オリジナルはアメリカ黒人男性グループのアイズレー・ブラザーズが62年12月に発表したもの。今ではオリジナルよりビートルズ・バージョンの方が有名である。 シャウトするジョンのボーカルはビートルズ・ミュージック最大の魅力の1つである。 アメリカでは「ゼアズ・ア・プレイス」とのカップリングでシングル・カットされ、2位まで上昇した。 バード・ラッセルとフィル・メドレーの合作。

作者:P.Medley - B.Russell

リード:John



『ザ・ビートルズ1962-1966』通称“赤盤”と『ザ・ビートルズ1967-1970』通称“青盤”のアルバムジャケット。
僅か7年間で音楽同様、メンバーの風貌も大きな変化を遂げたことがわかる。

beatles_1962_1966           beatles_1967_1970


HOME  ビートルズ TOP  このページの先頭

Please Please Me 次のアルバム

前の作品  次の作品


戻る
トップへ