ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レイン
Strawberry Fields Forever/Penny Lane
(シングル)
HOME ビートルズ TOP 戻る
前の作品 次の作品
前のシングル 次のシングル
プロデュース:ジョージ・マーティン
Parlophone Revel 1967.2.17
シングル解説
「イエロー・サブマリン/エリナー・リグビー」以来約半年振りとなる1967年2月17日に発表されたイギリスにおける14枚目のオリジナル・シングル曲。 前シングルに続いて今回も両A面扱いでリリースされた。
ビートルズは毎年12月のクリスマスシーズンには必ず新作のアルバムを発表してきたが、66年の暮れには新曲は1曲も無かったため、ベストアルバム『オールディーズ』(未CD化)を発表した経緯がある。 「シー・セッド・シー・セッド」以来4ヶ月ぶりにスタジオ入りしたメンバーは、66年11月24日から約1ヶ月半かけて本シングルのレコーディングを行っている。(「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」もレコーディングされている) この久しぶりの新作は全英チャートの最高位が2位だったため、イギリスにおけるシングルチャート連続1位の記録が途絶える結果となった。 アメリカでは「ペニー・レイン」がチャートの1位を獲得している。
この2曲はアメリカ編集アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』にも収録されている。
NME(英):2位
ビルボード(米):8位(ストロベリー・フィールズ・フォーエバー)
ビルボード(米):1位(ペニー・レイン)
キャッシュボックス(米):10位(ストロベリー・フィールズ・フォーエバー)
キャッシュボックス(米):2週連続1位(ペニー・レイン)
アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に先駆けて67年2月17日に発表された14枚目のシングル曲。全英の最高位第2位。
リバプールにある孤児院「ストロベリー・フィールド」をモチーフにしたジョンの作品。 66年8月29日に最後のコンサートを終えたビートルズが3ヶ月の充電期間を経て久しぶりにスタジオ入りしこの曲のレコーディングを開始する。 元々はギター、ドラムスのシンプルなアレンジであったが、当時開発された電子楽器メロトロンを加えた幻想的でノスタルジックな穏やかさが際立った“テイク7”が最終バージョンとして一旦完成する。 ところが10日後にジョンはプロデューサーのジョージ・マーティンに「やっぱり違う感じがする。もう1度録り直したい」と伝え、アレンジを変えてレコーディングを再開、ジョージ・マーティン編曲のオーケストレイションや印象的なシンバルの逆再生音などを施したサイケな狂想曲のような趣を持つアップテンポなテイクが仕上がった。ジョンも納得しこの最終“テイク28”が完成版となる。
翌日、ジョンはマーティンに「良く考えてみると前のシンプルなのもいいね。前半にテイク7を繋げられないかな?」と相談するが、2つのテイクはキーもテンポも違っていた。「無理だよ、ジョン」と言うマーティンにジョンは「君なら出来る!」と返したらしい。 ジョンの無茶ぶりに一応チャレンジしてみたところ、最終テイクの速度を落とすとキー・テンポともにテイク7と一致する事が判明した。 このテイク違いの繋ぎ目は冒頭から1分後、2番の歌詞「Let me take you down, 'cause I'm going to」の、「I'm」と「going」間に訪れる。
さまざまなサウンド・エフェクトを試みた野心作で、サイケデリック・ソングの傑作である。曲の終盤、フェイドアウトの後に再びサウンドが執拗に鳴り響く見事なエンディングもマーティンとエンジニア達のチームワークの勝利といえる。
まどろんだリードボーカルはジョン。オープニングはポールが弾くメロトロン、間奏のハープのような音はジョージが弾くインド楽器スワラマンデラ、エンディングに聴こえる民族音楽風にスウィングするメロトロンはジョンによるもの。アグレッシブで執拗なリンゴのドラムも素晴らしい。 エンディングのジョンの呟きが「ポールを埋めた(I Buried Paul)」と聴こえる事から“ポール死亡説”の証拠として騒がれたが、実際には「クランベリーソース(Cranberry Sauce)」と言っている。
アナログ版『マジカル・ミステリー・ツアー』にはジョンのボーカルに深いエコーがかかった別ミックスが収録されている。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と両A面でカップリングされたシングル曲。全米1位を獲得。 ペニー・レインとはリバプールにある通りの名前で、歌詞も通りについて情緒豊かに歌われている。 作詞・作曲・リードボーカルはポール。 ポール曰くジョンが作った「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に触発されて書いた曲だという。
ポールとジョンがピアノ、ジョージはコンガを担当。キーボードの使い方は、ビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」に影響されているという。 ブラスが効果的に使われ、間奏のピッコロ・トランペットのソロは当時ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団に所属していたデビット・メイソンによる演奏。 テレビで放送されていたバッハの『ブランデンブルク協奏曲第2番』の高音のトランペットに感銘を受けたポールの要望により、演奏者のメイソンが招かれたという。 ヨーロピアン・テイストたっぷりの幻想的な作風であるが、ポップな要素も盛り込まれた中期の傑作曲である。
67年初頭、マネージャーのブライアン・エプスタインはビートルズの新曲リリースが半年近くも無い事をひどく気にしていた。この時点で「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」を「ペニー・レイン」か「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のどちらかとカップリングする事が現実的な選択肢であったが、ジョージ・マーティンは「超強力な組み合わせをぶつけよう」という事で「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」との両A面シングルが発表される事になったという。 しかしイギリスでは最高位第2位止まりとなりシングルの連続1位記録が途絶えてしまう。
のちにマーティンは、この曲と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」をアルバム『サージェント・ペパーズ』に収録しなかったことを、自身の全キャリアにおける“最大の失策”と言っている。
HOME ビートルズ TOP このページの先頭
前のシングル 次のシングル
前の作品 次の作品
戻る