ザ・ビートルズ
The Beatles
(アルバム)
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サーフィンからアバン・ギャルドまで全30曲、音楽空間全てに翼を広げるビートルズの才能がここに結集
前のアルバム 次のアルバムプロデュース:ジョージ・マーティン
Apple Revel 1968.11.22
曲目リスト
ヒストリー
1968年になるとジョージのインド哲学への傾倒はいっそう拍車がかかり、超越瞑想の導師マハリシ・マヘシ・ヨギのセミナーへ積極的に参加するようになる。 そして2月15日からメンバー4人はインドのリシケシュまで出向いてマハリシの講義に参加、1ヶ月半もの間瞑想に没頭する(ポールとリンゴは食べ物が合わず途中で帰国するが)。
5月14日にはビートルズ自身の会社“アップル・コア”が設立され、月末からはインド滞在中に書き溜めた曲のレコーディングが開始される。 そして8月30日にアップル・レーベルからの初レコード「ヘイ・ジュード」が発売され全世界で大ヒットを記録、感動的なプロモ・ビデオとともにビートルズ健在を大きくアピールする出来事となった。 しかし、アルバム製作中、徐々にメンバー間で意見の対立やトラブルが発生、鉄壁のチーム・ワークにほころびが見え始める。 途中から8トラックレコーディングが導入され、4人が同時に演奏する必然性が希薄になった事もメンバーの溝を深める一因となった。 そしてジョンの新しいパートナーのオノ・ヨーコの登場は、4人の関係に微妙な緊張感を生む事になる。
11月22日に初の2枚組みとなる新アルバム『ザ・ビートルズ』が発表されるが、何かメンバーのソロ作品を集めたような印象を持つものに。。。 グループのまとめ役、精神的支柱であったブライアン・エプスタインの死の影響は計り知れないものだった事が次第に明らかになってゆく。
アルバム解説
オリジナル・アルバムとしては『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に続く9枚目の作品で、1年半ぶりの68年11月22日に初の2枚組みとして発表された。 ビートルズ自身が設立したアップル・レコードから発表された最初のビートルズのアルバムでもある。
リチャード・ハミルトンがデザインしたアルバム・ジャケットが白一色であることから、『ホワイト・アルバム』と呼ばれている。 (LP盤ではタイトルをエンボス加工し、通し番号が振られていた。因みに小生所蔵のナンバーはA400580)
68年5月30日から開始されたレコーディングはインド滞在中に書き溜めた曲を中心に行われ、次第にメンバー個々のセッションが増えていった。 途中から初の8トラック・レコーディングが導入されクリアなサウンドを聴かせる。 サイケデリックな色彩は影を潜め、シンプルでストレートなロックバンド志向の作品やフォーク・カントリー調の曲が多いが、中にはクラシック・ポップ、カリプソ、ハード・ロック、前衛音楽も含まれており、バラエティ豊かな30作品を収録。 プロデューサーのジョージ・マーティンは「曲をしぼって1枚のアルバムにすべきだ」と主張したが、最終的にメンバーが押し切ったという。
様々なジャンルの曲が無秩序に並んだためか、発売された当時は“統一感が無く散漫”という評価であった。 しかし収録曲の多くは完成度が非常に高く、現代音楽のあらゆる要素が詰まっているといえる。 現在では楽曲のクォリティーの高さが再評価され、“ビートルズ最高傑作”との呼び声も上がっている。
2018年には恒例のアルバム発売50周年盤が発売された。 CD3枚組「記念エディション」盤、CD6枚組+Blue-ray1枚の「スーパー・デラックス・エディション」などの形態があるが、聴き所はジャイルズ・マーティンによるリミックスだ。 ハンパ無い臨場感がたまりません!!
ポールがインド滞在中に作ったロック曲。 チャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」とビーチ・ボーイズの「サーフィン・U.S.A.」のパロディで、フォルセットと低音のコーラスもビーチ・ボーイズ風である。 リードギター、リードボーカルはポール。歌詞の一部のアイディアをビーチ・ボーイズのメンバーであるマイク・ラヴが提供しているといわれている。
5月30日から開始されたアルバムセッションも中盤に入った8月の下旬、この曲のレコーディング中、度重なるポールの厳しい要求にブチギレたリンゴがスタジオを飛び出してしまった。それでもポールがドラムをプレイしてセッションは続けられたため、この曲のドラムはポールが叩いている。 後日、戻ってきたリンゴは、このポールのドラムプレイを絶賛したという。リンゴ、"おとな"の対応である。
航空機での移動中の体験が元になっていて、曲中に飛行機の着陸音が効果音として何度も登場する。 数あるビートルズのロック曲の中でも特に人気の高いナンバーである。 2018年の50周年エディションではまるで目の前で演奏しているような臨場感溢れるリミックスを聴く事が出来る。特にドラムが凄い。
ジョンがインド滞在中に書いた曲で、女優のミア・ファーローの妹のプルーデンス・ファーローが何日も部屋に引きこもっていた事を歌ったもの。
ジョンが弾くギターは、インドでドノヴァンから教えてもらったスリー・フィンガー・ピッキング奏法。 ポールが弾く秀逸なベースは、曲に独特の表情を与えている。 リードボーカルはジョン、ポールとジョージのコーラスが幻想的な雰囲気を醸し出している。
この曲のレコーディングでもまだリンゴが戻っていなかったため、ポールがドラムをプレイ、曲の後半にはグループ初の16ビートにも挑戦している。 このアルバムでは珍しいサイケデリック調の名曲である。
EMIスタジオに導入された8トラック・レコーディング・システムで1番最初に録音された曲。 ジョンの作品、リードボーカルも彼によるもの。
この曲のレコーディング前にリンゴが戻ってきたので、ここでのドラムはリンゴによる安定したプレイ。 また、ポールのベースは「ガリッガリッ」という非常に硬い音質である。 歌詞中に「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、「レディ・マドンナ」、「フール・オン・ザ・ヒル」、「フィクシング・ア・ホール」といったビートルズの楽曲名が登場し、"ビートルズ学者"たちによる“謎解き”の格好の材料となった。 「ウォルラスはポール!」の一節は、マニアからポール死亡説の1つの証拠とされたが、それを予想したジョンによるジョークである。
ジョージ・マーティンのスコアによるストリングスが素晴らしく、ジョンのイメージにもぴったり合ったのだろう。 エンディングに様々な効果音を試みたジョンであったが中々納得出来ず、結局マーティンのストリングを採用している。
ポールが作ったカリプソ風の作品。リードボーカルもポールによるもの。
レコーディングは難航し、出来映えになかなか納得しなかったポールは、何度も作り直したという。 度重なるセッションにうんざりした他のメンバーはこの曲が嫌いだったようで、後のインタビューでも酷評されている。 ある日のレコーディングではスタジオ内の険悪な雰囲気に耐えられず、サウンド・エンジニアのジェフ・エメリックがスタジオを飛び出してしまう。彼は約1年後の『アビイ・ロード』セッションまで戻る事はなかった。 冒頭のホンキー・トンク・ピアノは、酩酊状態のジョンが「このテンポで行くぞっ!」とヤケクソで叩いたテイクが採用され、この曲のテンポが決まったそうだ。 「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」とは、ナイジェリア人のジミー・スコットという当時のセッションミュージシャンの口癖だったらしいが、意味は不明である。
最初期のレゲエ・ソングと言われる事もあり、多くのアーティストやシーンで取り上げられている。 76年にアメリカでシングルカットされている。
ポールが作ったお遊び的な作品で、アコースティック・ギターを弾きながらポールが一人でマルチ・レコーディングを行ったもの。 本アルバム収録の「ハニー・パイ」との関連や、ビーチ・ボーイズの「ワイルド・ハニー」のパロディと言われているが、歌詞・メロディに関連性は見られない。
ジョンらしい皮肉の効いた作品で、乾いたリードボーカルも彼。
「バンガロー・ビル」とはアメリカ西部開拓時代の「バッファロー・ビル」とあだ名されたウィリアム・コーディ少佐の事。彼は100万頭の野牛(バイソン)を殺してヒーローになった。 インド滞在中、ナンシーとリチャードのクック親子が虎狩りに行った事をモチーフにした歌詞と言われているが、ジョンはこのアメリカ人母子を嫌っていたそうだ。 後半のコーラスとソロ・ボーカルの1節でオノ・ヨーコの調子を外した声が聴こえる。 曲の終わり際にジョンの"Eh up!"(ちくしょう!)が聴こえる。
イントロのスパニッシュ・ギターはメロトロンMKⅡのサンプル音源をそのまま流用している。
「サムシング」と共にビートルズ時代のジョージの代表作。 彼のソロ・コンサートでは定番のバラードである。
ジョージのリードボーカルは繊細さが際立つもの。アコースティック・ギターはジョージ、ピアノはポール。 印象的なギター・ソロはジョージの親友であるエリック・クラプトンの演奏で、ドラマチックな“泣き”を聴かせる。 ポールの存在感のあるベースとリンゴの重厚なドラムも非常に素晴らしい。 この曲のレコーディング途中からEMIスタジオに8トラック・レコーディング・システムが導入されたので8トラック・テープに録音されている。
ジョージ曰く、クラプトンの参加でジョンとポールの行儀が良くなった、とそれまで険悪だったスタジオの雰囲気が和んだそうだ。 ジョージは翌年の“ゲット・バック・セッション”でも旧友ビリー・プレストンを誘い、メンバーのやる気を出させている。
3つの曲を繋げて完成させたジョンの作品。リードボーカル、バックコーラスはジョンによる多重録音。EMI第2スタジオの8トラック・レコーディングでの録音。
タイトルはアメリカの銃器専門雑誌の記事から引用された。 シュールなスローテンポのロック曲で、ジョンの音楽センスの良さが出ていて素晴らしい。 曲の中盤、怪しげなギター・ソロが印象的だ。 ポールはこのアルバムの中で1番好きな曲だと言っている。 歌詞がドラックを連想させるとしアメリカのラジオ局で放送禁止になったが、ジョンは「ロックンロールの歴史みたいな曲」と言っている。 個人的な好みとして、次曲とともにこのアルバムのベストトラックである。 アナログ盤ではA面最後の曲。
ポールがオールド・イングリッシュ・シープドッグの愛犬、“マーサ”をモチーフにしたクラシカルな雰囲気を持つポップ曲。 ポールの豊かな才能が感じられる隠れた名曲だ。
フレンチ・ホルンやクラリネットなどのホーン・セクションを取り入れたサウンド構成が見事である。 前半のベース音もホーンがかぶさっているもの。 トライデント・スタジオの8トラック・レコーディングで録音されているが、エレキギター、エレキベース、ピアノ、ドラムをポールが1人で演奏しているため、他のメンバーは不参加である。ホーンとストリングスも同日に録音されている。 ピアノの伴奏は、ギターのスリー・フィンガー・ピッキング奏法を応用したものである。
後にポールはマーサの子供"ジェット"をモチーフにしたロック曲も書いている。
インド滞在中の疲労感を歌ったジョンの作品。 スロー・テンポなオールド・スタイルのロック曲で、リンゴのずっしりとした重いドラムが非常によい。
気だるさを感じさせるようなジョンのボーカルは、時折感情を爆発させる歌い方でとにかく素晴らしい。 グループナンバー1のボーカリストとして面目躍如といったところだ。 サビの高音のハーモニーはポール。 EMI第2スタジオの8トラック・レコーディング・システムでの録音。
2018年のリミックスではポールのコーラスがより鮮明に聴こえる。
ポールが書いた開放弦を多用したギター奏法が印象的なフォークソングの傑作。 つぐみの飛ぶ様子が描写されているが、黒人女性の差別廃絶、解放について歌ったものだといわれている。
アコースティック・ギターの弾き語りのこの曲はポール1人でレコーディングしている。プツプツと刻むリズムはポールによる靴音。 鳥のさえずりが効果音として挿入されている。
モノとステレオで鳥のSEが入る箇所が異なる。
ジョージの作品。リードボーカルもジョージによるもの。
お金持ちの上流階級の人々を豚に見立てた内容は皮肉屋さんのジョージらしい歌詞である。 バロック調のハープシコードやストリングスのアレンジが大げさな感じを強調している作品で、所々豚の鳴き声が効果音として使われている。 ジョンは歌詞の1部分を手伝っているが、レコーディングには参加していない。
EMI第2スタジオの8トラック・レコーディングによる録音。ジョージはこの曲のセッション中、ハープシコードを弾きながら「サムシング」のデモを披露している。
インド滞在中に書かれたフォークロック調のポールの作品。リード・ボーカルもポール。
ラックーンとはアライグマの事(絶対に無い名前にしたかったから)で、架空のロッキー・ラックーンについて歌った物語風の曲。 C&Wの要素もあり、ジョージ・マーティンが弾くホンキー・トンク風のピアノが印象的である。 きれいなバック・コーラスはジョンとジョージ。
リンゴが初めて1人で作った記念的作品。とぼけたリード・ボーカルもリンゴ。
フィドル(バイオリン)がフィーチャーされた彼好みのC&W調の作風である。 リンゴは64年頃からこの曲想を考えていたそうだ。 リンゴのドラムとポールのピアノ&ベースで構成されていて、レコーディングも2人で行われた。
ローリング・ストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」に対するアンサー・ソングとして書かれたポールの作品。
迫力あるドラム・プレイはリンゴ。ピアノ、ギター、ベース、手拍子はポールによる多重録音。 ポールのボーカルは最初は強弱をつける予定であったが、最終的には全編荒々しい歌い方になった。 ジョンはこの曲を絶賛していて、「俺が歌ったほうがもっと良くなったよ」と発言している。
ポールが作った非常に美しい旋律のフォーク調ラヴ・ソング。
即興的に延々と続けられたセッション中に歌われた1曲で、半年後にポールの妻となるリンダ・イーストマンへ捧げた佳曲になっている。 リード・ボーカルとアコースティック・ギターはポール、ジョンはパーカッション、リンゴはシンバルとマラカスを担当。 このセッション音源を使ってポールがバック・コーラスと声によるベース音を追加して完成させている。 ジョージはレコーディングに参加していない。 EMI第2スタジオでの8トラック・レコーディング。
ジョンが書いた美しいフォーク・ソング。 ジョンがドノバンから教わったスリー・フィンガー・アルペジオによるアコースティック・ギターを弾きながら淡々と歌っている。
“ジュリア”はジョンの母親の名前であるが、「Ocean Child」(海+子供=洋子)からも判るようにオノ・ヨーコへ向けた非常にシンプルなラヴ・ソングである。 ジョン1人によるこの曲のレコーディングはこのアルバムの最後のセッションとなった。 アナログ盤ではB面最後の曲。
覚えやすいメロディーが特徴のポールが書いたアップ・テンポなバースディ・ソング。一部ジョンが手伝っている。
熱唱スタイルのリード・ボーカルはポールによるもの。中間部ではジョンのリード・ボーカルも聴く事が出来る。 印象的なギター・リフはジョンとジョージの演奏。 コーラスにオノ・ヨーコやジョージの妻パティなども参加している華やかな作品に仕上がっている。 珍しく曲の途中でリンゴによるドラム・ソロが入っていて、この曲の聴き所になっている。 Aメロは今でも高校野球とかの応援ソングとしても取り上げられている。 EMI第2スタジオに導入された8トラック・レコーディング・システムでの録音。
ジョンが作ったブルース・ロック。 シャウトするリード・ボーカルはジョン。 冒頭に入る"Two, three"のカウントはリンゴ。 ギター・ソロはエリック・クラプトンという噂があるが、恐らくジョンとジョージであろう。ポールのベースとスリリングなジャムを展開する。
「寂しい、死んでしまいたい」というネガティブな歌詞であるが、「ドント・レット・ミー・ダウン」と同様にオノ・ヨーコへ捧げた愛の歌である。 ジョンのお気に入りの曲のようで、69年のトロントでのライブでもこの曲を取り上げている。
ポールが書いた風変わりなフォーク・ソング。 歌詞はインド滞在時にマハリシから影響を受けたといわれる自然賛歌。
ポールのアコースティック・ギターの弾き語りに管楽器やティンパニーなどが加えられた。 凜とした風格、淡々とした曲調が何とも言い難い魅力を放つ牧歌的な作品である。不思議な余韻を残すエンディングも素晴らしい。 重たいドラムとティンパニーもポールによる演奏、ポール以外のメンバーはレコーディングに参加していない。
ジョンが作ったストレートなロックン・ロール。 ビートルズ作品中、最も長いタイトルの曲である。
「カモン!、カモン!」と連呼する乗りのいいリード・ボーカルはジョン。 ジョージのハンド・ベルが騒々しい印象を与えているが、注目は後半に繰り返されるポールのベース・ランニング! リンゴのスネアもバッチリ決まった歯切れのいいサウンドだ。 当時、自分とオノ・ヨーコが孤立していると思っていた疎外感を曲にしたらしい。
ジョンが作ったサイケデリック調のロック曲。 インド滞在中にマハリシの世俗的な一面を見たジョンが彼を痛烈に批判した曲。作成当初のタイトルは「マハリシ」だった。 情感を露にしたリード・ボーカルはジョン、フェイジングが効いた絶妙なコーラスはポールとジョージ。
レコーディングではジョンが中々納得したサウンドを得られず、3度もリメイクした労作。 イコライジングされたピアノが気だるさを感じさせ、緊張感のあるリンゴのバスドラが怒りを表現しているようだ。 幻想的な曲調がシュールな雰囲気を醸し出し、曲自体も秀逸であるが、ジョンのサイケデリック・ソングとしては最後の作品となった。
ザ・フーが自身の新曲「恋のマジック・アイ」のハードさを語った記事を見たポールが「俺もハードな曲を書いてみよう」という理由で作ったロック曲。 「ヘルター・スケルター」とはロンドン郊外にある滑り台の名前である。
激しくシャウトするリード・ボーカルはポール。コーラスはジョンとジョージとポール。ジョンは6弦ベースとサックスも演奏している。 リンゴのドラムも非常にハードなものである。リード・ギターはポール。 初期バージョンはもっとスローで演奏時間は20分を超えるものであった。このブルージーな初期バージョンの第2テイクは『ビートルズ・アンソロジー3』で聴く事が出来る。 フェイド・アウト後に再びフェイド・インするエンディングでは「指にまめができちまった!」と叫ぶリンゴのシャウトで終了するが、モノ・ミックスではこの部分はカットされている。 最初期のヘビィメタルと評価され、多くのハードロック系、ヘビィメタル系のアーティストからカバーされている。
69年にアメリカで起きた女優のシャロン・テート惨殺事件を引き起こした首謀者のチャールズ・マンソンは、殺人の動機についてこの曲と「ピッギーズ」を理由に挙げている。 当時マンソンは白人と黒人の最終戦争を「ヘルター・スケルター」と呼んでいた。
ジョージが書いたワルツのリズムで奏でられるバラード。
リード・ボーカルはジョージで、この力感の無さは彼の特徴である。ジョージの弱弱しいボーカルに合わせたコーラスはポール。 エンディングのジョージの叫び声と共に聴こえるカタカタとした奇妙な音は、レズリー・スピーカーの上に置かれたワインボトルが揺れる音である。 ジョンはこの曲のレコーディングに参加していない。 アナログ盤ではC面最後の曲。
革命について書いたジョンの作品。 このアルバム・セッションでの最初のレコーディング曲である。 ジョンのリード・ボーカルは納得いくテイクが中々録れず、最終的に床に寝転がって録音されたという。
ジョンはこの曲をシングル曲としてリリースする事を望んでいたが、当初のテイクは12分にも及ぶものだった。 4分に縮められたものの、ポールとジョージから間延びしたテンポを指摘されたため、約3週間後にアップテンポにリメイクして「レヴォリューション」というタイトルで「ヘイ・ジュード」のB面として発表されている。 ここで聴けるものはリメイク前の初期バージョン。シングル・バージョンには無いホーンセクションやドゥーワップ風コーラスを聴く事が出来る。
シングルの「レヴォリューション」では「But when you talk about destruction. Don't you know that you can count me out」(もしお前が何でもぶっ壊せと言うなら、俺を仲間から外してくれ)と歌われているが、ジョンは最後までこの歌詞を迷っていた。なのでここでは「can count me out....in」(仲間から外してくれ、いや入れてくれ・・)と言いなおしている。
後半に続いていたフリーなジャム・セッション展開部分をベースに「レヴォリューション9」が作られた。
ポールがピアノを弾きながら歌うディキシー調ミュージックで、彼得意の物語風の作品になっている。 クラリネットやサックスなど1920年代のジャズを思わせる雰囲気があり、オープニングにはパチパチとした78回転レコードのノイズ音を挿入している。 間奏のミュートが効いた小粋なギターソロはジョンの演奏。ジャズ・ベースはジョージが弾いている。
「ヘイ・ジュード」を録ったトライデント・スタジオの8トラック・レコーディングで録音されている。
チョコレート好きのエリック・クラプトンが虫歯に悩む様子を歌ったジョージの作品。 リード・ボーカルはジョージ、コーラスはポール。
『リボルバー』収録の「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」同様、ホーンセクションをフューチャーしたブラス・ロック曲。 ジョージの提案でサックスの音は「グッド・モーニング・グッド・モーニング」と同じようにディストーションで歪んだ音になった。 トライデント・スタジオの8トラック・レコーディングでの録音。
この曲のレコーディングにもジョンは参加していないので、結局ジョンはこのアルバムセッションのジョージ作品には「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」だけに参加した事になる。
ジョンが新聞広告の宣伝文句からヒントを得て作った作品。リードボーカルもジョンによるもの。
ジョンはアコースティックギターの他にピアノ、オルガンも演奏している。歌詞はマザー・グースや『鏡の国のアリス』の影響を受けていると言われている。 あまり目立たないが、様々な効果音が使われている。 エンディングは「アイ・ウィル」セッション時でのポールの即興曲「キャン・ユー・テイク・ミー・バック」という作品が使用されている。
オノ・ヨーコに触発されジョンが作ったミュージック・コンクレートといわれる前衛音楽。 「レヴォリューション1」の後半のセッション部分がベースになっていて、その曲と同時期に制作された。 一部、ジョージの会話が入っているが、殆どがジョンとジョージ・マーティンの2人で制作しているため、他のメンバーは関わっていない。
EMIのライブラリから探し出された“ナンバーナイン”というナレーションや様々な効果音を重ねて録音されている。 9はジョンのラッキー・ナンバーだそうだ。
ジョージ・マーティンのスコアによるゴージャスなオーケストレイションをバックにリンゴが歌うハリウッド風子守唄。 作者はジョンで、彼は1年後に自身のソロアルバム『ウェディング・アルバム』でフォークソング風にアレンジしたこの曲を発表している。 レコーディングはリンゴのみ参加。
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